あまりにも奇抜な史観なので、
誰にも信用してもらえないだろうが、
実を言うと書いてる本人自身が信用していない。
しかし思いついたので書く。
「対米戦争はなかった」
「あったのは戊辰戦争の官軍と賊軍の戦いだけである」
「官軍と賊軍の戦いは、つい最近まで続けられたが、安倍首相の登場でひと段落ついた」
説明1)
昭和初期の日本の政治の登場人物、
限界まで絞り込むと、
石原莞爾
東条英機
山本五十六
の3人になる。
主演級はこの3人。
他は助演男優である。
主演の3名はいずれも、戊辰では賊軍に属していた地域の人々である。
説明2)
そもそも太平洋戦争の戦死者の、
過半数は餓死である。
かなりの人数が、戦争もせずにただ飢えと病に死んでいった。
要するに、敵を殺していないのである。
対外戦争と呼ぶにはあまりにも奇怪な現象である。
内戦のとばっちりでアメリカに戦線布告したと考えたほうが、
数字の上からは整合的である。
説明3)
田中角栄およびその弟子筋は、
基本的に賊軍の人々が多い。
金丸信(山梨)竹下登〔島根)小沢一郎(岩手)。
民主党も、実質は小沢の選挙能力で政権を取った。
小沢の権勢は、さきほどの選挙の大敗まで続いた。
説明4)
理研(理化学研究所)も、賊軍の組織である。
名物所長大河内正敏は、
知恵伊豆(松平伊豆守信綱)の末裔である。
大河内のころの理研に、田中角栄がなぜか出入りしていたのは有名な話である。
今日官軍の世になって、理研の屋台骨が揺らいでいるのは、
大きく見れば賊軍の敗退である。
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2014年6月3日火曜日
2014年6月2日月曜日
タルコフスキー「鏡」・解読18
翻って、第一部冒頭の母と医者との会話を考える。
植物にも意識がある、という医者の主張も、
ダンテの神曲由来のものである。
「地獄編」の中で、
自殺者が樹木になって苦しむ描写がある。
ところで
作中の医者はなんとなくドイツ系の雰囲気で、
作中自殺したのはヒトラーである。
冒頭のシーンはヒトラーのソ連侵攻を暗示していたのである。
では第一部の少年時代の描写、
母の印刷工場でのシーンはどうだろう。
一瞬だが、ポスターにスターリンの顔が映っているのが見て取れる。
ということは、鏡像としてそこに対応する、
第三部知人宅での頼みごとのシーンの鳥の首を切る行為は、
スターリンの虐殺を暗示しているとわかる。
同国人を殺傷するという、望まない行為を強制された時代であった。
全編のクライマックス、空中浮揚のシーンに続くことから、
スターリン批判、スターリンの同国人虐殺が、
この映画の隠された主題であると判断できる。
ソ連は、あるいはロシアは、
かつてモンゴルタタールの侵入を受け、
スペイン内戦に関与し、
ヒトラーの侵入を受け、
中ソ国境紛争に巻き込まれた。
内にあってはスターリンという虐殺王の支配を受けた。
しかし、その歴史は克服された。
母と、父と苦難を共有し、
主人公が鳥になることで。
全体の構成再び見てみよう。
(第一部)
1、草原と若い母と旅の医者(幼年時代)A-1
2、母の印刷工場時代(少年時代)B-1
3、別れた妻との会話・カラー(成人時代)C-1
(第二部)
4、戦争の時代の記録映画(幼年時代)A-2
5、イグナートの留守番(成人時代)B-2
6、兵役訓練(少年時代)C-2
(第三部)
7、別れた妻との会話・モノクロ(成人時代)C-3
8、母とたずねた田舎の家での営業(少年時代)B-3
9、草原と老いた母と主人公(幼年時代)A-3
となる構成にしたがって、私なりに読み解くと
1、侵攻を喪失したロシアに、ヒトラーが接近した。ヒトラーは去ったが、国土は焼かれた
2、その後、圧制の時代になった。一言半句の間違いが命取りになる時代。
3、圧制も終わり、通常の生活の中でも、過去のスペイン内戦介入の残滓は引きずっている
4、スペイン内戦介入から始まる、全ユーラシアの戦乱の時代
5、思えばタタールの侵入以来のロシアの宿命はまさにそこにあった。全ての苦難を引き受けてきた
6、戦争で傷ついた教官が、両親を封鎖で亡くした少年に軍事訓練をほどこす。
苦しみの連鎖。少年たちは心の鳥(希望)を握り締めてしまう
7、一見平穏に見える現在の生活も、内実は非難と疲労で成り立っている。
涙の中から宗教への希求が立ち上がる。
8、強制されたとはいえ、最悪だったのは、スターリンの粛清の時代である。
だが、最悪の悲劇の中にも、意味は存在する。他者の苦しみを請け負うという意味が。
母なる大地の苦しみに、父なる神も寄り添う。子である人民も寄り添う。
9、歴史は克服され、ロシアの焦土化も回避される。
握り締めた希望は飛び立ち、主人公自身も鳥となり、希望を体現する
以上で「鏡」解説は終わりである。
映画史上屈指の難物といいえる作品だが、
ほぼアウトラインは描写できたのではないかと思う。
全編でダンテの神曲の影響が強い。
影響の最たるものは3という数である。
全編は3分割され、
それぞれさらに3分割される。
第一部と第三部は鏡像になっている。
地獄のような二十世紀ソ連にあっても、
なおも天上界を希求する姿勢の見える作品、ともいえる。
空中浮揚から希望へと続くストーリー構成は、
サクリファイスに大変近い。
「鏡」に対しては、
黒澤明の、
「脈絡が無いのが思い出なのだから、この映画は考えずに鑑賞すればよいのである」
という説明が有名である。
キリスト教の信仰や、スターリン批判を含んだ映画は確かに、
下手に細かく解説するとまずかったのかもしれない。
もうソ連で映画を作れなくなってしまう。
もっとも、本当に理解できずに、それでも感性だけは強いので、
感性だけで強引に鑑賞してしまったという可能性も捨てきれないのが、
黒澤の恐ろしいところである。
実際には、ガチガチの構成の作品である。
構成力のみで作られている印象さえ受ける。
同じように「神曲」の影響の強い作品、
「風立ちぬ」のDVDがそろそろ発売だから、
そちらの解析に移らなければならない。
「鏡」の冒頭に吹く風、あれはヒトラーの侵攻であった。
「風立ちぬ」の震災の描写はそれにそっくりだが、
象徴している内容も、似ている。
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植物にも意識がある、という医者の主張も、
ダンテの神曲由来のものである。
「地獄編」の中で、
自殺者が樹木になって苦しむ描写がある。
ところで
作中の医者はなんとなくドイツ系の雰囲気で、
作中自殺したのはヒトラーである。
冒頭のシーンはヒトラーのソ連侵攻を暗示していたのである。
では第一部の少年時代の描写、
母の印刷工場でのシーンはどうだろう。
一瞬だが、ポスターにスターリンの顔が映っているのが見て取れる。
ということは、鏡像としてそこに対応する、
第三部知人宅での頼みごとのシーンの鳥の首を切る行為は、
スターリンの虐殺を暗示しているとわかる。
同国人を殺傷するという、望まない行為を強制された時代であった。
全編のクライマックス、空中浮揚のシーンに続くことから、
スターリン批判、スターリンの同国人虐殺が、
この映画の隠された主題であると判断できる。
ソ連は、あるいはロシアは、
かつてモンゴルタタールの侵入を受け、
スペイン内戦に関与し、
ヒトラーの侵入を受け、
中ソ国境紛争に巻き込まれた。
内にあってはスターリンという虐殺王の支配を受けた。
しかし、その歴史は克服された。
母と、父と苦難を共有し、
主人公が鳥になることで。
全体の構成再び見てみよう。
(第一部)
1、草原と若い母と旅の医者(幼年時代)A-1
2、母の印刷工場時代(少年時代)B-1
3、別れた妻との会話・カラー(成人時代)C-1
(第二部)
4、戦争の時代の記録映画(幼年時代)A-2
5、イグナートの留守番(成人時代)B-2
6、兵役訓練(少年時代)C-2
(第三部)
7、別れた妻との会話・モノクロ(成人時代)C-3
8、母とたずねた田舎の家での営業(少年時代)B-3
9、草原と老いた母と主人公(幼年時代)A-3
となる構成にしたがって、私なりに読み解くと
1、侵攻を喪失したロシアに、ヒトラーが接近した。ヒトラーは去ったが、国土は焼かれた
2、その後、圧制の時代になった。一言半句の間違いが命取りになる時代。
3、圧制も終わり、通常の生活の中でも、過去のスペイン内戦介入の残滓は引きずっている
4、スペイン内戦介入から始まる、全ユーラシアの戦乱の時代
5、思えばタタールの侵入以来のロシアの宿命はまさにそこにあった。全ての苦難を引き受けてきた
6、戦争で傷ついた教官が、両親を封鎖で亡くした少年に軍事訓練をほどこす。
苦しみの連鎖。少年たちは心の鳥(希望)を握り締めてしまう
7、一見平穏に見える現在の生活も、内実は非難と疲労で成り立っている。
涙の中から宗教への希求が立ち上がる。
8、強制されたとはいえ、最悪だったのは、スターリンの粛清の時代である。
だが、最悪の悲劇の中にも、意味は存在する。他者の苦しみを請け負うという意味が。
母なる大地の苦しみに、父なる神も寄り添う。子である人民も寄り添う。
9、歴史は克服され、ロシアの焦土化も回避される。
握り締めた希望は飛び立ち、主人公自身も鳥となり、希望を体現する
以上で「鏡」解説は終わりである。
映画史上屈指の難物といいえる作品だが、
ほぼアウトラインは描写できたのではないかと思う。
全編でダンテの神曲の影響が強い。
影響の最たるものは3という数である。
全編は3分割され、
それぞれさらに3分割される。
第一部と第三部は鏡像になっている。
地獄のような二十世紀ソ連にあっても、
なおも天上界を希求する姿勢の見える作品、ともいえる。
空中浮揚から希望へと続くストーリー構成は、
サクリファイスに大変近い。
「鏡」に対しては、
黒澤明の、
「脈絡が無いのが思い出なのだから、この映画は考えずに鑑賞すればよいのである」
という説明が有名である。
キリスト教の信仰や、スターリン批判を含んだ映画は確かに、
下手に細かく解説するとまずかったのかもしれない。
もうソ連で映画を作れなくなってしまう。
もっとも、本当に理解できずに、それでも感性だけは強いので、
感性だけで強引に鑑賞してしまったという可能性も捨てきれないのが、
黒澤の恐ろしいところである。
実際には、ガチガチの構成の作品である。
構成力のみで作られている印象さえ受ける。
同じように「神曲」の影響の強い作品、
「風立ちぬ」のDVDがそろそろ発売だから、
そちらの解析に移らなければならない。
「鏡」の冒頭に吹く風、あれはヒトラーの侵攻であった。
「風立ちぬ」の震災の描写はそれにそっくりだが、
象徴している内容も、似ている。
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2014年6月1日日曜日
タルコフスキー「鏡」・解読17
第三部を検討する。
第二部最終シーン、父の再帰の後、
第三部冒頭は成人時代の描写になる。
ここで妻は、第一部と打って変わって、
大変不機嫌で、大変疲れており、主人公も機嫌が悪い。
息子イグナートは火遊びをし、
主人公はそんな息子を酷評する。
しかし妻は火遊びに、モーゼの柴の予言をかいまみる。
その後幼年時代の風景が続く。
まずお手伝いが鏡を見る。
次に主人公はマッチに火をつける。
このシーンとのイグナートの火遊びとの対比は明らかである。
続いて幼年の主人公は誰かの手によって扉を開けてもらい、
納屋の中に入る。
窓ガラスが割れて、鶏が飛び出す。
この節は、幼年の主人公が火を覚えて、
納屋に入って火をつけてしまったことを暗示する。
第一部にある納屋の火事のシーン、
その火事の原因は主人公がマッチを覚え、
かつ納屋に入ってしまったことにある。
続くシーンは少年時代、親戚の家での頼みごとである。
少年の主人公は鏡の向こうに自分自身を見、
そして又初恋の少女が火をくべている姿を見る。
(と考えると、少年を納屋に入れたのは、
その直前に鏡を見ていたお手伝いである)
母が無理強いをされて鶏の首を切るとき、
ごく小さな音量で、
オープニングクレジットと同じ、BWV614が流れる。
正月を迎える音楽である。
続けて空中浮揚のシーン。
ここが全編のクライマックスである。
ここで母が罪を背負ったことで、
そして第一部と違い母の苦しみを息子が共有し、父もそこに寄り添ったことで、
ソ連の苦難の歴史は書き換えられる。
具体的には、納屋の火事はなくなる。
(無論火事を戦争に例えている)
空中浮揚する母の上を、小鳥が飛ぶ。
この小鳥は火、水、鏡にならぶ全編中重要なアイテムである。
最初に出てきたのは第二部(中間部)少年時代の兵役訓練の後である。
雪の坂で反抗した少年の頭に小鳥が止まる。
少年はそれを掴む。
そして母の空中浮揚で飛び、
続く幼年時代の茂みのシーン(ここまでに3回出現しているシーンである)の4回目に、
小鳥が茂みを横切る。
幼年時代の描写になり、
納屋の中の少年は放火をしていない。牛乳を抱えており、鏡を見ている。
続くシーンで少年は、なにかが燃えていると伝えるのだが、
実際に燃えているのは寝室のストーブであり、
納屋の火事は回避されている。
ワンシーンのみ、成人時代のシーンになる。
主人公は病臥している。
扁桃腺という言葉がでてくることからもわかるように、
第一部の母との電話の続きである。
イグナートにプーシキンを朗読させた、
ロシア皇帝とお手伝いがつきそっている。
主人公は「なにもかもうまくゆく」と言って、
ベッドで倒れている小鳥を握り、空に飛び立たせる。
これが3度目の鳥の飛翔である。
幼年時代、少年時代、成人時代、
時代を貫いて小鳥が飛んだことになる。
最後に幼年時代。
母と父が草原に寝ている。
父が言う。
「どちらが欲しい?息子か娘か?」
母は笑いながら涙を流す。
これから味わう困難を見通すかのように。
そして(老いた姿の)母に子どもたちが連れられて歩く姿を、
若い母は見る。
ヨハネ受難曲の冒頭合唱が流れる中、
少年は大きな声で、鳥のように鳴く。
そう主人公は鳥になったのである。
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第二部最終シーン、父の再帰の後、
第三部冒頭は成人時代の描写になる。
ここで妻は、第一部と打って変わって、
大変不機嫌で、大変疲れており、主人公も機嫌が悪い。
息子イグナートは火遊びをし、
主人公はそんな息子を酷評する。
しかし妻は火遊びに、モーゼの柴の予言をかいまみる。
その後幼年時代の風景が続く。
まずお手伝いが鏡を見る。
次に主人公はマッチに火をつける。
このシーンとのイグナートの火遊びとの対比は明らかである。
続いて幼年の主人公は誰かの手によって扉を開けてもらい、
納屋の中に入る。
窓ガラスが割れて、鶏が飛び出す。
この節は、幼年の主人公が火を覚えて、
納屋に入って火をつけてしまったことを暗示する。
第一部にある納屋の火事のシーン、
その火事の原因は主人公がマッチを覚え、
かつ納屋に入ってしまったことにある。
続くシーンは少年時代、親戚の家での頼みごとである。
少年の主人公は鏡の向こうに自分自身を見、
そして又初恋の少女が火をくべている姿を見る。
(と考えると、少年を納屋に入れたのは、
その直前に鏡を見ていたお手伝いである)
母が無理強いをされて鶏の首を切るとき、
ごく小さな音量で、
オープニングクレジットと同じ、BWV614が流れる。
正月を迎える音楽である。
続けて空中浮揚のシーン。
ここが全編のクライマックスである。
ここで母が罪を背負ったことで、
そして第一部と違い母の苦しみを息子が共有し、父もそこに寄り添ったことで、
ソ連の苦難の歴史は書き換えられる。
具体的には、納屋の火事はなくなる。
(無論火事を戦争に例えている)
空中浮揚する母の上を、小鳥が飛ぶ。
この小鳥は火、水、鏡にならぶ全編中重要なアイテムである。
最初に出てきたのは第二部(中間部)少年時代の兵役訓練の後である。
雪の坂で反抗した少年の頭に小鳥が止まる。
少年はそれを掴む。
そして母の空中浮揚で飛び、
続く幼年時代の茂みのシーン(ここまでに3回出現しているシーンである)の4回目に、
小鳥が茂みを横切る。
幼年時代の描写になり、
納屋の中の少年は放火をしていない。牛乳を抱えており、鏡を見ている。
続くシーンで少年は、なにかが燃えていると伝えるのだが、
実際に燃えているのは寝室のストーブであり、
納屋の火事は回避されている。
ワンシーンのみ、成人時代のシーンになる。
主人公は病臥している。
扁桃腺という言葉がでてくることからもわかるように、
第一部の母との電話の続きである。
イグナートにプーシキンを朗読させた、
ロシア皇帝とお手伝いがつきそっている。
主人公は「なにもかもうまくゆく」と言って、
ベッドで倒れている小鳥を握り、空に飛び立たせる。
これが3度目の鳥の飛翔である。
幼年時代、少年時代、成人時代、
時代を貫いて小鳥が飛んだことになる。
最後に幼年時代。
母と父が草原に寝ている。
父が言う。
「どちらが欲しい?息子か娘か?」
母は笑いながら涙を流す。
これから味わう困難を見通すかのように。
そして(老いた姿の)母に子どもたちが連れられて歩く姿を、
若い母は見る。
ヨハネ受難曲の冒頭合唱が流れる中、
少年は大きな声で、鳥のように鳴く。
そう主人公は鳥になったのである。
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