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2019年3月3日日曜日
2018年12月31日月曜日
ユダヤについての仮説4
BC146にカルタゴが滅亡する
フェニキア=ユダヤ人にとってはダメージである。
ところが故地パレスチナに、
ほぼ同じBC140くらいにハスモン朝というユダヤ独立国家が成立する。
セレウコス朝シリアからの独立である。
つまりフェニキア=ユダヤ人にっとってはパレスチナが最後の心のよりどころになったのである。
ところで、キリスト教もユダヤ教の一派であり、盛んに伝道を行った。つまり、当時のユダヤ教は本来、伝道を盛んに行う宗教だったのである。
「ヨブ記」
https://matome.naver.jp/odai/2154057092464739801
では当時のユダヤ教はどのように分布していたのか、そしてなぜキリスト教は広まったのか。
と長々と書いてきたのは以下の仮説を提示するためである。
1、カルタゴ滅亡のころには、ユダヤ教は経典の整理がかなり進んでいた
2、滅亡したカルタゴのフィニキア人は、各地にちらばって生存しており(こっちが本当のディアスポラでは?)、人的ネットワークとして機能していた。
3、彼らはあらたにユダヤ教徒、ユダヤ人として自身をアイデンティファイした
4、ユダヤ教徒、とくにキリスト派の拡大は目覚しく、ローマ帝国を恐怖を覚えた、なぜならばその集団の母体は、フェニキア人だったからである。
5、ある程度以上ユダヤ教が広まった後ではもはや制御不能になっていた。ローマ帝国としてはユダヤ教の一派、キリスト教を国教にしてカルタゴ勢力に対抗するより選択肢がなかった。これがキリスト教がローマ帝国の国教になった理由である。
フェニキア=ユダヤ人にとってはダメージである。
ところが故地パレスチナに、
ほぼ同じBC140くらいにハスモン朝というユダヤ独立国家が成立する。
セレウコス朝シリアからの独立である。
つまりフェニキア=ユダヤ人にっとってはパレスチナが最後の心のよりどころになったのである。
ところで、キリスト教もユダヤ教の一派であり、盛んに伝道を行った。つまり、当時のユダヤ教は本来、伝道を盛んに行う宗教だったのである。
「ヨブ記」
https://matome.naver.jp/odai/2154057092464739801
では当時のユダヤ教はどのように分布していたのか、そしてなぜキリスト教は広まったのか。
と長々と書いてきたのは以下の仮説を提示するためである。
1、カルタゴ滅亡のころには、ユダヤ教は経典の整理がかなり進んでいた
2、滅亡したカルタゴのフィニキア人は、各地にちらばって生存しており(こっちが本当のディアスポラでは?)、人的ネットワークとして機能していた。
3、彼らはあらたにユダヤ教徒、ユダヤ人として自身をアイデンティファイした
4、ユダヤ教徒、とくにキリスト派の拡大は目覚しく、ローマ帝国を恐怖を覚えた、なぜならばその集団の母体は、フェニキア人だったからである。
5、ある程度以上ユダヤ教が広まった後ではもはや制御不能になっていた。ローマ帝国としてはユダヤ教の一派、キリスト教を国教にしてカルタゴ勢力に対抗するより選択肢がなかった。これがキリスト教がローマ帝国の国教になった理由である。
2018年12月29日土曜日
ユダヤについての仮説3
使いやすい文字を開発したフェニキア人の古代における地位は、今日では「アップル族」「スマホ族」と考えれば理解しやすい。新しいメディアを手にしたものは、手にしていないものにたいして圧倒的な知的優位性を持つ。人類のほとんどが識字していない環境では、神のごとき知性を手にしたのである。というか近隣部族はなんのこっちゃ理解できなかったろう。知的水準に差がありすぎるからである。
が、しかしフェニキアの優位も長くは続かなかった。フェニキア文字からギリシャ文字が派生したのだが、ギリシャ文字は母音がもともと備わっている。子音のみで母音がなく、実際の発音は類推で読まなければならなかったフェニキア文字と比べれべば、ギリシャ文字の優位性は明らかである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2#/media/File:AntikeGriechen1.jpg
赤がギリシャ、黄色がフェニキアの殖民都市である。勝敗は明らかである。フェニキア有利なのはパレスチナ近辺と、アフリカ北岸西部、スペイン南部のみである。
しかし、交易ということを考えると、アフリカ北岸西部は悪い土地ではない。フェニキア人たちはおろらく大西洋を南下し、アフリカの物資をヨーロッパまで運び、膨大な利益を得ていたはずである。
それは歴史で証明されている。カルタゴはまさにこの地の王国だからである。
カルタゴは、ローマの歴史を通じて、もっともローマを追い詰めた敵である。天才ハンニバルを擁してイタリア半島を荒らしまわり、その間ローマ帝国はひたすらローマに立てこもって首をすくめている以外に、軍事的にはなすすべもなかった。ローマはそのときの屈辱を決して忘れず、最終的にはカルタゴを完全に破壊した。
それで、考えなければならないのは、その後カルタゴ人、つまりフェニキア人はどこに行ったのか、ということである。
が、しかしフェニキアの優位も長くは続かなかった。フェニキア文字からギリシャ文字が派生したのだが、ギリシャ文字は母音がもともと備わっている。子音のみで母音がなく、実際の発音は類推で読まなければならなかったフェニキア文字と比べれべば、ギリシャ文字の優位性は明らかである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2#/media/File:AntikeGriechen1.jpg
赤がギリシャ、黄色がフェニキアの殖民都市である。勝敗は明らかである。フェニキア有利なのはパレスチナ近辺と、アフリカ北岸西部、スペイン南部のみである。
しかし、交易ということを考えると、アフリカ北岸西部は悪い土地ではない。フェニキア人たちはおろらく大西洋を南下し、アフリカの物資をヨーロッパまで運び、膨大な利益を得ていたはずである。
それは歴史で証明されている。カルタゴはまさにこの地の王国だからである。
カルタゴは、ローマの歴史を通じて、もっともローマを追い詰めた敵である。天才ハンニバルを擁してイタリア半島を荒らしまわり、その間ローマ帝国はひたすらローマに立てこもって首をすくめている以外に、軍事的にはなすすべもなかった。ローマはそのときの屈辱を決して忘れず、最終的にはカルタゴを完全に破壊した。
それで、考えなければならないのは、その後カルタゴ人、つまりフェニキア人はどこに行ったのか、ということである。
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