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2019年10月3日木曜日

悪霊・追記

とりあえず「悪霊」読み解きアップした。
https://matome.naver.jp/odai/2156984353668968401

ヨハネの黙示録より
「ラオデキヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『アァメンたる者、忠実な、まことの証人、神に造られたものの根源であるかたが、次のように言われる。
わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。
このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。」

この文章が、「ニコライ・スタヴローキンの告白」と、ステパン先生最後の旅、2回出現する。2回出現するかなら理解可能だか、1回だけでよくも作品として成立していると考えたものである。読者には全く意味不明だったはずである。
「告白」の削除は検閲のためではなく、出版社の判断だったわけだがいずれにせよ、どうも作家は抵抗というか、言論に自由がないほうが燃えるようである。終戦直後の太宰治の「斜陽」と「人間失格」を見よ。

しかしどうして作者が「ヨハネの黙示録」がこんなに好きなのか、私には全く理解できない。普通に読めば普通にくだらない、おどろおどろしいだけの文章である。内容も明快ではない。表現方法が混濁しているから、内容も混濁している。
ところがキリスト教関係の資料で、この「ヨハネの黙示録」以外に時間を記述しているものが、私の知る限りまったくないのである。ようするにキリスト教直線時間というものは、この失敗作の記述のみに依存しているのである。脆弱なシステムである。

しかし論理的にはキリスト教時間が一直線になるというのはよくわかる。
1、アダムとイブが原罪を犯した
2、イエスキリストが肩代わりをした
3、だから人類は救われる
だいたいこんな論理の流れなのだが、ここでアダムとイブ、人類の始祖が登場するのがミソで、始祖の罪が明快に定まっているから、子孫の運命も明快に定まり、結果として長大な時間が定まってしまい、直線時間になるのである。直線時間だから直線時間なのではない。キリスト教の教義的要請なのである。
そして教義的要請を充足させるものが「ヨハネの黙示録」であるから、ドストエフスキーもこの駄文にこだわらざるをえないのである。少々つまみ食いの形だか。
彼は「悪霊」で大々的に取り上げはしたが、円環時間が受け入れがたく、直線時間は理屈に合わず、その間で逡巡しているというのが、私の感想である。悪く言えば刹那で誤魔化した。

2019年9月17日火曜日

ツァーリ

Wikiの「ドストエフスキー」の項目が、
現在反ユダヤ主義の問題で埋め尽くされている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC


ドイツ語では、ほとんど触れられていない

https://de.wikipedia.org/wiki/Fjodor_Michailowitsch_Dostojewski

ロシア語でも同様

https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%94%D0%BE%D1%81%D1%82%D0%BE%D0%B5%D0%B2%D1%81%D0%BA%D0%B8%D0%B9,_%D0%A4%D1%91%D0%B4%D0%BE%D1%80_%D0%9C%D0%B8%D1%85%D0%B0%D0%B9%D0%BB%D0%BE%D0%B2%D0%B8%D1%87

英語でも同様

https://en.wikipedia.org/wiki/Fyodor_Dostoevsky


なんで日本語だけと?思う。
誰かが政治的意図でやったんだろうが、
自動翻訳が進歩した現代では全く無意味である。

もっともドストエフスキーが鼻持ちならんキリスト教至上主義であるのは事実で、
「悪霊」にはキリスト教徒でない人間は、魂がないとまで書いてある。
最初読んだ時は流石に反発した。
ああそうさ、私は一応仏教徒だから、魂はないさ。
しかし反発しても、彼の作家としての能力の高さは変わらない。
世界中の文学者が苦しめられた、圧倒的な能力である。

黒澤明が「白痴」の撮影中、上手くゆかなくて発作的に自殺しそうになった、という話がある。
「カラマーゾフ」を何度も読んだが、映画化できなかったという話もある。
黒澤は素朴で正直だから言っているが、
世界中の文学者が、ドストエフスキーを熱烈に愛し、
同時に熱烈に憎悪しているはずである。
彼は目標ではなく、人々を暴力的に押さえつける、文学上の強大なツァーリである。
だがみんな口には出さない。こんちくしょうと思いながら我慢している。

「悪霊」の読み解きコツコツ続けている。
実を言うと世の文学者、文学研究者を、
凶暴なツァーリから救済するためにしているという意識が少しある。
一時期社会主義にはまって、反政府活動をしていたドストさん、
結局自分が(世界文学界における)ツァーリになるんだから、なんのこっちゃである。

2019年9月13日金曜日

アメリカにおける真実

作家の村上春樹氏が、一時期アメリカの大学で文学を教えていた。
自分の作品、例えば「ノルウェイの森」を学生に読ませる。
学生一人ひとりに解釈を聞いてゆく。
色んな感じ方があって面白い。

ところが最後に学生たちが言い出す。
「で、正解はどれなんですか?」

村上は、いや文学ってのは正解とかそういうもんじゃなくて、
おのおの色んな事を感じてもらえばいいんだと言う。
すると学生が怒りだす。

「作者が正解わからないってことはないだろう!!」

なかなか大変である。
良く言えばアメリカ人は真実を求める気持ちが強いのだろう。
悪く言えば、幼稚である。
MMTの騒動みていて以上を思い出した。