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2020年2月2日日曜日

「黒い匣」(バルファキス)について

黒い匣 (はこ)  密室の権力者たちが狂わせる世界の運命――元財相バルファキスが語る「ギリシャの春」鎮圧の深層   ヤニス バルファキス https://www.amazon.co.jp/dp/475034821X/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_uGJnEbG9NSRMZ @amazonJPさんから


ようやっと図書館で借りてきた。高いし厚いし、買って自宅に置くのは御免こうむる本だが、内容は死ぬほど面白かった。血湧き肉躍る名著である。

ECBやユーログループやIMFやドイツやらがご無体な要求をギリシャにつきつける。要するに第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約である。国家が無茶苦茶になる。ドイツはそれゆえにハイパーインフレに陥り、ヒットラーが台頭した。しかしドイツも、自分ところにやられるのは嫌だが人にやるのは大好きなようで、ゴリゴリ押してくる。アメリカで経済学者をやっていたバルファキスは、「祖国で財務大臣やってくれ」という要請を受けて、国に帰って国政選挙に出馬、見事に当選して新内閣の財務相をつとめる。2015年1月の話である。

結局彼は各国、各機関との交渉、及び自国政府の方針決定に敗れ2015年7月に辞任する。たった6ヶ月の政治家体験である。しかし濃密な体験である。登場人物はサマーズ、ラガルド、ドラギ、メルケル、マクロン、サンダース、オバマなど。全員キャラが立つ。さながらドストエフスキーである。分厚い本で短い時間というのも、ドストエフスキーである。やっぱドストの会話ドラマは、ギリシャオーソドックスの文化的伝統を受け継いでいるものではないだろうか。たてまえ上はできるだけ正確に描写した実体験なのだが、裏読みができそうな本でもある。そこまで取り組んでいないのでなんとも言えないのだが、重要な本なのでまずは簡単に紹介する。

経済危機に陥ったギリシャに押し付けられた改善策は、アジア通貨危機の時のIMFの方針と同じく、単なるイジメ策であった。しかしイジメられたギリシャが困窮し国粋主義化したりすることを想定するならば、EU全体にも悪影響を及ぼす。つまり、イジメられるほうにとっても、イジメるほうにとっても、なにひとつ良いことの無い自殺的な行為である。

バルファキスはそれが自殺的であると各機関で訴える。そこに居るエコノミストで優れた人々は皆、完全にそれに同意する。実際自殺的なのだから当然である。でも、やっぱり方針はかわらない。理不尽な要求がゴロゴリ押されてくる。マスコミは当たり前のように買収されてゆく。身近なスタッフも徐々に陥落してゆく。そしてとうとう自分に協力を要請した首相も陥落する。そしてバルファキスは辞任する。

私も日本の財務省やマスコミや経済学者の理不尽さに強い憤りを抱いているが、これはそんな甘っちょろいものではない。狂気の緊縮ゴリ押しである。しかも押してゆくほうは非常に優れている。バカだからやっているのではない(だったら問題の解決は簡単だ、賢い奴にすげ替えればよいだけだ)。非常に優れた連中が非常にバカなことをしていて、それを誰も止められないのである。だから題名が「黒い匣」、つまりブラックボックスである。冒頭サマーズが言うように、その匣のインサイダーにならなければなにも達成できないのだが、匣自体が狂った時にはインサイダーたちは匣の方針に突き動かされることしかできない。

こういう理不尽さから見るに、「黒い匣」はシンクタンクのようなものではない。「黒い匣」は宗教団体なのである。かつては共産主義が宗教の一種だと揶揄されていたが、共産主義を倒した資本主義も、毒が回って宗教団体に成り下がってしまったようである。日本の歴史的宗教団体は殺傷という意味ではたいしたものではなく、本願寺を弾圧した信長のほうがクローズアップされるくらいだが、西洋人の闘争性はものすごいもので、口では神と愛を訴えるローマ法王庁が、異端となれば住民皆殺しを先導してきた。それの正統的な後継者がスターリンやヒットラーだったわけだが、今日ではその役割は「黒い匣」に受け継がれている。現代エコノミストヒエラルキーの頂点の場所に受け継がれているのである。そして政府も、省庁も、経済学者も、マスコミも、基本的に現代ローマ法王庁に逆らえない。かつてのカノッサの如くバルファキスも屈辱を味わうのである。伝統文化というのはここまで強靱なものなのである。別に羨ましい伝統ではないが。

「匣」の支配(彼らの支配、ではない。彼ら匣の住民も匣に支配されているのだから)から離脱するには、宗教改革→三十年戦争のような、大規模な損害を覚悟しなければならないのだろう。損害を最小限に抑えるには、「知識の共有」が必須なのだが、それはまた別の日に書く。

2020年1月11日土曜日

「騎士団長殺し」について

正月休みを利用してようやく「騎士団長殺し」を読んだ。
現役作家の詳細な読み解きは、遠慮すべきだろうからやらない。
作者が反日的であるかどうかのみ考察する。

南京大虐殺については議論が絶えない。
作者はここで「虐殺あった派」にくみしているが、
全体を読めば反日的ではないことは容易に理解できる。
むしろベタ日本的である。
「カフカ」以降の作者ははっきり日本回帰をしている。
https://matome.naver.jp/odai/2147554516137358701

本作でドン・ジョバンニのシーンを取り出して描写したのは、
三島由紀夫の「豊饒の海」が、ワーグナーの「ニーベルングの指環」を下敷きにしているからである。
https://matome.naver.jp/odai/2146003917202443101
オペラ世界で「ニーベルングの指環」以上の作品となると、
同じワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」か、モーツアルトの「ドン・ジョバンニ」くらいしかない。
だから三島を後継し、それ以上の世界を目指すという意味でも、妥当な選択である。

作中「騎士団長殺し」の絵の人物は「天平風の衣装」を着ている。
女性の前での暗殺事件、普通に考えれば大化の改新の乙巳の変のシーン、つまり蘇我入鹿暗殺事件のシーンである。



主人公はまりえを救い出すために、騎士団長を殺す。
つまり主人公は中大兄皇子になるのである。のちの天智天皇になるのである。
小倉百人一首が天智天皇から始まるのをみればわかるとおり、
「天皇」および「日本」は天智、天武あたりからはじまった称号であり、
ここで主人公は天皇となり日本史を一からやり直すのである。

騎士団長を殺して地獄めぐりをする主人公は、地下でドンナ・アンナに導かれる。
アンナはつまり、蘇我入鹿暗殺事件を目撃した皇極天皇であり、主人公の妻、ユズでもある。
皇極天皇は一度退位して再度即位し、斉明天皇となるのだが、
そのことと主人公が一度離婚してのちに復縁することは、パラレルになっている。

主人公=ドンジョバンニ(なので少しは女遊びをする)=中大兄皇子(天智天皇)は、
まりえのために暴力を振るう。自ら手を汚すのである。
彼は暴力を好むものでも、肯定するものでもないが、まりえ救済が優先されている。
ベタ右翼的作品というのが第一感である。詳細読み解けば違うかもしれないが。

ちなみに「ハチに刺されて死ぬ」というのは、
戦時中の替え歌である。

昨日生まれたブタの子が
蜂に刺されて名誉の戦死
ブタの遺骨はいつ帰る
昨日の夜の朝変える
ブタの母さん悲しかろ

となるとまりえの母は太平洋戦争の戦死者であり、
免色の入っていた拘置所はおそらく巣鴨であり、
まりえは「戦前の日本」の子供であり、
日本の文化の継承のためには、あえて流血をも躊躇しない、という意味となる。

2020年1月5日日曜日

論語について 4

真説氏の見識はかなり大胆なものである。
もちろん証拠はなく、あくまで仮説なのだが、ほかの説だって全部仮説である。
現場に行けるわけじゃなし。

真説氏の説:孔子の父はある町(都市国家)のボスだったが、魯の季孫氏に殺され、孔子の母は季孫氏の家内奴隷となった。
孔子も奴隷だったが、頭の良さを見込まれて図書室での勉強をさせられ、
結果として当時最大の知識人になった。

実際孔子の父に関して伝わっていることは、大力の勇者であったということだけである。
しかも孔子は父の墓所を知らない。ようするに孝ではない。孝の本家本元が孝ではない。
だからこれくらいのことがあったとしても、全く不思議ではない。
なぜ孔子が弓射や馬車の制御ができたかという疑問も解消する。

先に季孫氏と言ったが、当時魯の国は季孫氏、孟孫氏、叔孫氏の三氏が国政を壟断して王には権力がなかった。三氏とも王家から臣籍降下した家柄である。源平藤橘が政治をやっている状態だったのである。孔子はその季孫氏の奴隷だったのだろうと。

真説氏はさらに仮説を加え、「孟子は孟孫氏だったのではないか」と言う。なにしろ類推以外の証拠がない。ないのだが私には注目すべき仮説と思われる。

孟子は今日我々が見る論語に多大な影響を与えた人物である。最大の編纂者かもしれない。その孟子が孟孫氏出身となると、論語の中身は政治的意図にみちみちた、プロパガンダ文章だったはずである。その文章を、後世の人々は「聖賢の言葉」「道を示す言葉」としてとらえた。捉えてしまった。単なる勘違いである。

だから普通に読むと頭の固いおじさんの言葉集でしかない。おそらくそれが自然な反応である。しかし何度も読むうちに、自分で自分を洗脳してしまって、人生の指針のように思えてしまう。