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2021年4月25日日曜日

池上彰

【ダイジェスト】池上彰の国の借金のウソを認めた?「日本は財政破綻しない!」三橋貴明・高家望愛
 

ネット上での攻撃がすごかったですからね。とうとう池上も正直になりました。池上も東国原も橋下もとうの昔にわかっていたのですが、タイミングを見計らって意見を小出しにする。連中はそういうビジネスを展開していますね。でも実際に予算の出し惜しみで日本経済はダメージをくらい、その打撃は主に低所得者の生活を直撃しているのです。これは現在進行形です。1年前に言ってくれればどれほどの人々が助かったか。

嘘とわかっていて財政破綻論、緊縮財政を主張していた人々に問いただしたい。みなさんの主張によって困窮し、生死の縁をさまよっている方々のことを、あなたはどう思うのか。彼らの生活に対して、あなたは責任があるのではないか。あなたは自分の生活のために弱いものをいじめていたのではないか。
弱いものは、当然ながら池上や東国原や橋下ほどは頭が良くない。だから反論できずに唯々諾々と騙され従う。でもだからと言って、自分のために彼らの生活費を削っていった履歴は消去できない。日本の30年の停滞に協力したのだから、これはもう歴史である。太平洋戦争に協力し、戦後あっさりと転向した連中と同じ座席が、彼らには与えられる。彼らは望んでその座についた。

三橋は評論家だから、鷹揚にかまえている。しかし生活者とすれば連中はモンスターである。にくいとか腹立たしいとか以前に、ただひたすらに気色悪い。

2021年4月23日金曜日

神学論争という批判にみせかけた自身の責任回避



などが典型的な現在の振る舞いですね。

1、自分たちが緊縮やってきた

2、それが完全な間違いだったと、理性的に判断がついた

3、自分の責任を回避するために、議論全体を「神学論争」と呼ぶ

4、その上で「政治の役割」を強調する


東国原も似たような発言していました。それなりに逃げ足が早いことだけは評価しなければいけませんが、もう少し早いともっと評価できると思います。

2021年4月19日月曜日

信仰としての貨幣観

 最近「MMTの議論はとても信じられない」ということを言う人が多い。MMTの中心に有る会計仕分けは、信仰の対象ではない。ただの整理である。その整理の上になにを積み重ねるかは各人の勝手だが、「MMTは信じられない」という発言それ自体が、狂気の発言である。宗教と会計を混同している。無論、意図的な混同である。悪質である。

財務省系で、さんざん財政危機を煽っておいて、「これはこれ以上言うのはまずいな、しかし財政危機はウソだったとは流石に言えない」と考えている人にとって、「信じられない」というのは最高の逃げ口上である。

「今後この件に関しては理性的な責任ある会話はしませんからどうか許して下さい」という意味である。ストレートに謝れるなら許すが。そんなレトリックで皆を騙せると思っていることから明らかなのは、その人は国家の事を語る資格はないことである。