同じ穴のムジナ
LGBTとはなにか。キリスト教文化圏における「原罪」なるものの克服努力である。
キリスト教には「原罪」がある。アダムとイブが神の命令にそむいて知恵の身を食べた。食べて性と知恵に目覚めた。神はアダムとイブの罪を咎めて楽園から追放した。
その罪は子孫に相続されていった。これが原罪である。(相続しても地球人口現在80億人。男性のみでも40億。つまり男性の私の罪の相続は40億分の1なので、ほぼ無罪だと思うのだが、それはともかく)その罪の身代わりとなって自らを殺したのがキリスト様である。だからキリストを信じる者は救われる。というのがキリスト教教義である。
お分かりになられたと思うが、この教義ではイエス=キリストと「原罪」はセットなのである。原罪があるからイエス様が誕生した。ところで西洋社会の知識人たちは、もうキリスト教を信じていない。イエス様が神だとは思っていない。が、長年キリスト教の中に沈没していたせいで、「原罪」なるものへの恐怖は残存しているのである。
そんな半端な知識人たちは、キリストのことは相手にしていないくせに、いや相手にしていないからこそ、なんとか原罪からの脱却、というか原罪の恐怖からの脱却をしたくて、原罪の原因である「性の目覚め」をいじり倒す。
それでLGBTである。自分たちはもはや自分の性を操作することが出来る。だから原罪なんて恐くない。全然まったく恐くない。ビビってないぞ、怯えてないぞ、大丈夫だ、俺たちゃ自由なんだ、ヒャッハー。
傍から見れば、ただのクリスチャンである。ねじくれているだけで、ただの神を恐れる人々である。その意味で、LGBTを推進したアメリカ民主党も、福音派が支持基盤にあるアメリカ共和党も、同じ穴のムジナである。
お殿様
そうなる原因は、キリスト教にはない。西洋人は世界のチャンピオンだった。いわば人類のお殿様階級だった。だから文化相対主義がない。口では似たようなことを言っても、本気で悩んで考えたことはない。知識人で理解している人は存在するが、なにしろ知識人の思想である、定義上一般人には理解出来ない。よって西洋社会は今でもキリスト教どっぷりである。
ラーム・エマニュエルはユダヤ人である。だからキリスト教的反応とは言い難い、という反論来るかもしれない。ではユダヤ人文化というものはどういうものか、教えていただきたい。今私たちがユダヤ人と呼ぶ人々は、欧米に居住するか、欧米からイスラエルに移民した人々である。要は欧米人である。つまり文化的にはほぼクリスチャンである。そして欧米のクリスチャンは、自分達のキリスト教文化を相対化できていない。その中で生まれ育ったユダヤ人という少数者が、そこから脱却できるわけがない。
幸か不幸か、日本人はお殿様ではなかった。連中がバカにするアジア人だった。侵略の恐怖から明治維新を起こし、なんとかやってきた。やがて立ちふさがる巨大な文明のカギがキリスト教だと気づき、キリスト教の咀嚼、消化、吸収につとめた。
日本人は頑張ったと思う。でも欧米人のようにお殿様の地位に居たら、この努力ができたかどうか怪しい。多分出来なかった。運が良かったのか悪かったのか、私にもよく分からない。