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2014年4月30日水曜日

タルコフスキー「鏡」・解読14

さてここで全体の構造を見直してみる。
成人時代の対句が1セット
幼年時代も、
少年時代も1セットある。
それらは前後に配置されている。
例えば、以下のような構造が見出せる。


1、草原と若い母と旅の医者(幼年時代)A-1

2、母の印刷工場時代(少年時代)B-1

3、別れた妻との会話・カラー(成人時代)C-1


4、戦争の時代の記録映画(幼年時代)A-2

5、イグナートの留守番(成人時代)B-2

6、兵役訓練(少年時代)C-2


7、別れた妻との会話・モノクロ(成人時代)C-3

8、母とたずねた田舎の家での営業(少年時代)B-3

9、草原と老いた母と主人公(幼年時代)A-3



実際には戦争の時代の記録映画は6(C-2)の終わりごろまで、
断続的に展開するのだが、まずはこの構造でおおまかに捕らえる。

すると、以前述べた「鏡」の根底にはダンテの神曲がある、
との仮説が一層説得力をもって浮かび上がってくる。

「『神曲』は、
地獄篇 (Inferno)
煉獄篇 (Purgatorio)
天国篇 (Paradiso)

の三部から構成されており、各篇はそれぞれ34歌、33歌、33歌の計100歌から成る。
このうち地獄篇の最初の第一歌は、これから歌う三界全体の構想をあらわした、いわば総序となっているので、
各篇は3の倍数である33歌から構成されていることになる。」

(Wikiより)

映画「鏡」は3の3倍である9章から成り立っている。



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2014年4月26日土曜日

タルコフスキー「鏡」・解読13

前回妻との会話、カラーとモノクロバージョンの比較で、
うまく対句が発見できた。
他の場所でも考えてみる。

モノクロとカラーの対比、という意味では、
主人公の少年時代の話題が目に付く。

1、印刷工場での母の話(モノクロ)
2、田舎の知人の家に頼みごとに行く話(カラー)
ただし1は主人公は登場しない。
この二つで対句表現を探ってみる。


1、誤植が問題になると思ったが大丈夫だった
2、頼みを聞いてもらえるか不安だったが大丈夫だった

1、ウォッカを与えられる
2、コップに入った飲み物を与えられる

1、大丈夫と思ったが結局非難を受けつらい思いをする
2、大丈夫と思ったが結局鳥を捌かされてつらい思いをする

1、雨に頭が濡れる、シャワーで洗う
2、ぬかるみで足が汚れる マットレスで拭う

1、文字の問題。言葉で不快になる。
2、金の問題。暴力で不快になる。

1、蒸発した夫、子どものことを言及される
2、義父について言及する(イワノフの継娘です)

とこれも対句になっているのがわかる。
となると冒頭と最後の、
主人公の幼年時代も対句になっているのではないか。
いずれも田舎の家のシーンだが、
最後のほうは母が老婆の姿で、つまり現在の姿で登場するのが特徴的である。


1、母が見知らぬ医者と寝転がる
2、母が蒸発した亭主と寝転がる

1、医者は植物にも意識があると言う
2、亭主と娘は植物を咥えている

1、子どもは寝ている
2、子どもは起きている

1、母は若い妻の姿
2、母は年老いた現在の姿

1、母は棚に腰掛けている。棚は折れる
2、母(老婆)は切り株に腰掛けている。

少年時代に比べて、さほど綺麗な対応といえないが、
やはり対句になっている。


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2014年4月24日木曜日

在日問題2



「チスル」という映画、済州島虐殺を描いたものである。
こういう映画がとうとう韓国から出だした。

(ただし、本土と距離のある済州島だから描けた、とも言える。
保導連盟事件は、まだまだ難しいだろう)

大変美しい映像である。
ちなみに、監督はタルコフスキーの崇拝者らしい。


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