カプローニ「君はピラミッドのある世界とピラミッドのない世界、どちらが好きかね」
次郎「ピラミッドですか」
カプローニ「空を飛びたいという人間の夢は呪われた夢でもある」
岡田斗司夫はこのピラミッドを、美しさの象徴としている。
悪い解釈では無い。
しかしよりよい解釈は、
「理想の探求」である。
ピラミッドというシンボルの元ネタはタルコフスキーの映画、
「ノスタルジア」にある。
宗教的人類救済を志すドミニコという登場人物が、
ローマの広場で叫ぶ。
「誰かがピラミッド建設を叫ばなければならない、
完成できなくてもいい、
願いをもつことが肝心だ、
魂をあらゆる面で広げるのだ」
ドミニコはその後自分の体にガソリンをかけて火をつけ、
火達磨になった上で高いところから落ちて、
のた打ち回って死ぬ。
ここで言うピラミッドは、理想という意味であり、
そのようにとってはじめて、
「風立ちぬ」のカプローニの言葉の意味がきれいにつながる。
カプローニ「君は理想の探求のある世界と理想の探求のない世界、どちらが好きかね」
次郎「理想の探求ですか」
カプローニ「空を飛びたいという理想の探求は、呪われた探求でもある」
なぜ呪われているか。
それはヨハネの黙示録に書いてある。
天上、地上、地下と世界を分別し、
天上に上ろうと希求する気持ちが、
すなわち天からの墜落を発生させる。
上らなきゃ落ちないのは当然である。
黙示録には「落ちる」というイメージが頻発するが、
「風立ちぬ」にも墜落が頻発し、
ドミニコのように落っこちながら、火達磨になって滅んでゆくのである。
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