MMTの左派っぷりが問題になっている。
だいたい西洋の思想は根底にキリスト教、あるいはそれを裏返したアンチキリスト教があり、その上にそれなりに優れた社会観察、分析があり、
その上に少々過激な社会変革ベクトルがある。三層構造になっている。
で、西洋人連中は自分たちの思想がキリストを中心にグルグル周り、
人類がかならずそうなると信じ込んでいる。
なぜなら彼らは「勝ち組」だから。
なんのかんの言って現在の世界の支配者は、
ヒンドゥーでもイスラムでも儒教でもなく、
キリスト教徒たちなのである。
そのことに対する客観的な視点を、西洋人は持ち得ない。
ちょうどお殿様が目黒もサンマをうまいと思い込むようなもので、
殿様に庶民生活を理解させようと思っても無理なのである。
で、さんざん文学受容のなかで繰り返されてきた歴史なのだが、
西洋のものを輸入する場合、
1、その内容にどの程度キリスト教的宗教心が含まれているか
2、その宗教心がどの程度事実を歪めているか、逆に言えば宗教心に歪められていない事実はどれか
を判別して再利用しなければならない。
明治維新から150年以上経過したのに、いまだにそれが実行できないのだから事態は深刻である。
MMTについて私は教科書も読んでいないような素人だから、
詳細に論じることはできないのだが、
物々交換否定論と租税貨幣論(無税国家不可能論)とJGP(労働価値説)の、
3つの結びつきの中に明らかに宗教的な、ドグマティックなものが含有されているように思えて仕方がない。
物々交換否定は、すなわち「貨幣とは神の意思である」
租税貨幣論(無税国家不可能論)は、すなわち「神の国を作らねばならない」
JGP(労働価値説)は、すなわち「労働によって神の国に参加できる」
「そんなことは学者は意図していない!!」
意図していないと思います。
でも彼らは勝ち組なので、そういう思考回路から脱却できない。
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