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2021年5月10日月曜日

責任の処理方法の考察・3

 東日本大震災の直後、経済学者たちがおそるべき提言をまとめた。

復興増税である。


http://www3.grips.ac.jp/~t-ito/j_fukkou2011_list.htm


復興減税ならわかるが、復興増税となると若い人には意味不明だと思われる。

当時は財政破綻論を本気で信じて疑わない人が多かった。それはまだいい。

ところがリフレ派の勢力が伸びてきた。

リフレーション政策をすると、日銀が国債を買うのだから政府債務は事実上帳消しになってしまう。小うるさいリフレ派との論争に敗れることになる。それだけは嫌だ。日本が沈没してもそれだけは避けたい。


それで主流派経済学者たちが、よく言えば結束した。

悪く言えば「悪事連合協定書」にサインすることによって、互いを非難しあわないように、傷をなめ合う制度を作った。それが上記のリンクである。傷とは無論、経済財政にたいする自らの見識の低さという傷である。


上記リンクに賛同した経済学者たちは一生、国民経済に対して罪を背負うことになる。罪を共有する集団である。逆に言えば113名の学者は(現在では引退、物故したものも居るが)終生仲間を裏切れない。だから連中は今でも緊縮財政を主張している。


このようなシステムを採用しているということは、現在の経済学者の社会は、巨大な権力者が居るわけではなく、集団指導体制というか、ゆるやかなボス制であると考えられる。巨大な権力者がいるならこういう連判状は不要だからである。


つまり、現代に山県有朋は居ない。森鴎外の責任の取らなさは山縣に原因があるが、現在はそうではない。

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