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2010年2月6日土曜日

「カラマーゾフの兄弟」をよみとく 11

このように見てゆくと、カラマーゾフの兄弟には結局3名しか登場人物が居ないということになる。というより3つ程度のキャラクターを立てれば人類のドラマは語れるということになる。だから「童(わらし)」なのである。
ミーチャは夢で見た焼け出された童を強く記憶にとどめ、最終的に「俺は無実だが、あの童のために懲役に行く」と言う。
そう、人類が3種類しかいないならば、ミーチャがゾシマであってイリューシャでもあるならば、焼け出された童もミーチャであり、全ての人間は同一の存在であり、他人が存在しないゆえに、自分に責任のないことも自分の責任であり、自分を愛するが如く隣人を愛するべきであり、自分が罪を背負うことがすなわち隣人の救済にむすびつくのである。万物斉同。
3種類、というのはおそらく、キリスト教の三位一体教義の影響だろう。

2009年7月3日金曜日

「カラマーゾフの兄弟」をよみとく 10

最後に主要登場人物対応表を掲載しておく。
なんとも上手な、小説技法ではありませんか。

2009年7月2日木曜日

「カラマーゾフの兄弟」をよみとく 9

もはや最後のパーツになった。
少年たちの中で、アリューシャに該当するのは、
コーリャであろう。
アリューシャがミーチャを救出するがごとく、
ゾシマの兄の記憶が決闘に向かうゾシマの魂を救出するがごとく、
コーリャは犬のジューチカを救出する。
そしてこれで、カラマーゾフの兄弟が、
都合4セット完成したことになる。

1)本来の兄弟
2)僧院での女性信者
3)ゾシマの過去語り
4)未来のカラマーゾフたち

僧院で女性信者はおそらく、
神の世界でのカラマーゾフの描写であろう。
現在、過去、未来、カラマーゾフは繰り返し存在する。
この構成の背後の思想を性急に類推しても、成果はすくないであろう。
ただこの構成をより詳細に検討することからのみ、
カラマーゾフというこの、
おそらく世界中の文学好きの頭を、
重苦しく押さえつけてきた問題作品の、
言葉は悪いが、有効利用の方法が開けるのではないかと、
私は考えている。