スイカに塩を振ると甘みが増すように、
生に死を振りかけると、生の味わいが増すようである。
死は最高の生のスパイスらしい。
タイ人は死体が好きである。
普通の女の子が、死体の写真を見ながら、普通に食事をする。
以前、バンコクの交通事故の事故処理ボランティアさんをテレビ番組を見たことがある。
毎晩スタンバっていて、連絡があると事故現場に直行する。
「人命救済に情熱がありそうには見えないけど、
この人たちなんでこんなことをしているのか」
と疑問に思いながら見ていたが、
今にして思えばあのボランティアのおじさんたちは、
死体フェチ欲求を満たす為に活動していたのであろう。
東南アジア奥地のある部族では、
高位の坊さんが死ぬと、丸焼きにして村全体で肉を食べる。
食べると高貴な精神を受け継げる、という能書きらしい。
昔写真を見たことがあるが、そんな能書きよりも、
上体を起こした状態で黒焦げになっている死体の皮膚から、
指で皮膚をつまんで口に入れている子供たちの、
金属面のような無表情な顔と、
まるでポッコリ穴が開いたような目の暗さが、
強く印象に残っている。
宇都宮および浜松市民には申し訳ないが、
餃子というもの、とくに中国で正月にかならず食べる水餃子は、
私には、胎児に見えてしょうがない。
キリスト教では、
死体が貼り付けられたフィギアを、
ネックレスにして胸に垂らして、
ことあるごとにそれに口をつける。
「とりて食え、わが肉なり」
「とりて食え、わが血なり」
その死体由来のものであると宣言されたパンとぶどう酒を摂取する行為が、
聖餐と呼ばれている。
以上のような視点から、
本邦における特攻隊物語の流行を考察すべきだと思う。
「風立ちぬ」のゼロ戦のパイロットの、
微妙な表情と微妙な腕の上げ方ひとつで、
ああ、これから特攻にゆかれるのだなとわかる私達。
その時、えもいえぬ「うずき」のようなものを感じるとしても、
別に恥ずかしくもなく、タブーでもない。
人類普遍のスパイス欲求にたいする、
日本人なりの、充足の方法論なのである。
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2014年1月20日月曜日
2014年1月11日土曜日
映画雑感・三大キリスト教映画
キリスト教映画
ミッション8ミニッツという映画を見た。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%EF%BC%9A8%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%84-%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%A4-DVD%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB/dp/B005MH1KIC
大変優れていた。
私の中で、三大キリスト教映画を位置を占めている。
「ベン・ハー」
これはキリストが登場するが、顔は見せない。
それでも見終わった後クリスチャンになりたくなるほど、
良い映画だった。
(もののけ姫におけるハンセン氏病快癒の奇跡は、
明らかにベンハーの影響だろう)
「サクリファイス」
タルコフスキーの遺作。
終盤、キリスト教の三位一体教義を、
見事に表現している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BD%8D%E4%B8%80%E4%BD%93
父と子と精霊の三位が、
交わりそうで交わらず、
しかし、世界が再生される。
三つ目がこの
「ミッション8ミニッツ」である。
主人公はイエスである。
イエスだから、父と連絡を取りたがる。
精霊(携帯メール)を使う。
理不尽な状況に置かれたとき、
人はだれしも諦める。
主人公も諦めかかる。
しかし、あるとき忽然として、
巨大な勇気を発揮する。
「たしかに無理な状況だ、
だがそれでも諦めるべきじゃない」
私はクリスチャンではないが、
イエスは好きである。
それは彼がこのような、
とほうもない勇気を持っているからである。
西洋文化とわれわれ日本人が言うとき、
ゴッホやベートーヴェンがまず連想される。
彼らのアグレッシブな創作態度の根底には、
おそらくイエスという人のキャラクターがある。
ブッダではどう転んでも、
絵の具を描きなぐったり、楽譜を書きなぐったりはしない。
この作品の監督、ダンカン・ジョーンズというひとで、
デビットボウイの息子さんだそうだ。
注目していきたい。
ミッション8ミニッツという映画を見た。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%EF%BC%9A8%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%84-%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%A4-DVD%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB/dp/B005MH1KIC
大変優れていた。
私の中で、三大キリスト教映画を位置を占めている。
「ベン・ハー」
これはキリストが登場するが、顔は見せない。
それでも見終わった後クリスチャンになりたくなるほど、
良い映画だった。
(もののけ姫におけるハンセン氏病快癒の奇跡は、
明らかにベンハーの影響だろう)
「サクリファイス」
タルコフスキーの遺作。
終盤、キリスト教の三位一体教義を、
見事に表現している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BD%8D%E4%B8%80%E4%BD%93
父と子と精霊の三位が、
交わりそうで交わらず、
しかし、世界が再生される。
三つ目がこの
「ミッション8ミニッツ」である。
主人公はイエスである。
イエスだから、父と連絡を取りたがる。
精霊(携帯メール)を使う。
理不尽な状況に置かれたとき、
人はだれしも諦める。
主人公も諦めかかる。
しかし、あるとき忽然として、
巨大な勇気を発揮する。
「たしかに無理な状況だ、
だがそれでも諦めるべきじゃない」
私はクリスチャンではないが、
イエスは好きである。
それは彼がこのような、
とほうもない勇気を持っているからである。
西洋文化とわれわれ日本人が言うとき、
ゴッホやベートーヴェンがまず連想される。
彼らのアグレッシブな創作態度の根底には、
おそらくイエスという人のキャラクターがある。
ブッダではどう転んでも、
絵の具を描きなぐったり、楽譜を書きなぐったりはしない。
この作品の監督、ダンカン・ジョーンズというひとで、
デビットボウイの息子さんだそうだ。
注目していきたい。
2014年1月8日水曜日
映画雑感・仁義なき東京物語
深作欣二監督「仁義なき戦い」の特徴を列挙する。
1、舞台は広島県(呉市および広島市)
2、全て荒々しいことばの発音。一本調子。
3、下から見上げるようなアングル
4、山森親分、夫婦仲が大変良い
5、親と子(舎弟)の、家族の物語である
小津安二郎「尾道物語」の特徴を列挙する
1、舞台は広島県(尾道市)と東京
2、全てやたら上品なせりふ。一本調子。
3、下から見上げるようなアングル
4、周吉と妻、夫婦仲が大変良い
5、親と子(含む義理の娘)の、家族の物語である
したがって、仁義なきシリーズは、
東京物語を下敷きにした映画だと言える。
1、舞台は広島県(呉市および広島市)
2、全て荒々しいことばの発音。一本調子。
3、下から見上げるようなアングル
4、山森親分、夫婦仲が大変良い
5、親と子(舎弟)の、家族の物語である
小津安二郎「尾道物語」の特徴を列挙する
1、舞台は広島県(尾道市)と東京
2、全てやたら上品なせりふ。一本調子。
3、下から見上げるようなアングル
4、周吉と妻、夫婦仲が大変良い
5、親と子(含む義理の娘)の、家族の物語である
したがって、仁義なきシリーズは、
東京物語を下敷きにした映画だと言える。
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