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2014年4月22日火曜日

タルコフスキー「鏡」・解読11

前回無意識に使ってしまった用語だが、
この映画全体も3時代に分割できる

1、幼年時代

2、少年時代

3、成人時代

以上が細切れになって組み合わされている。
以下簡単に説明

1、幼年時代

冒頭の母と医者の会話、納屋の火事
映画終盤のモノクロシーケンス(風の吹く屋外テーブルなど)
老母との会話、

2、少年時代
(主人公は出てこないが)印刷工場での母
ダビンチ画集を見る主人公、父の再帰、
近所の家での頼みごと(母の鶏の首切り)

3、成人時代
病気で母との電話
別れた夫婦の対話1(カラー)
イグナートの留守番
別れた夫婦の対話2(モノクロ)
病床の主人公

それ以外に記録映画が挟み込まれるが、
今は考慮しない。

一見してはっきり対句になっているのは、、
3、成人時代に別れた夫婦の会話の2回である。

はじめはカラーで、妻は主人公に好意的であり、
結果主人公はイグナートと同居できる。

2回目はモノクロで、妻は主人公に批判的
結果イグナートとは同居できない。
この二つは明らかに対比でつくられている。

同じように対比になっているのが、
病気で母との電話と(扁桃腺で3日話していない)
病床の主人公(扁桃腺は原因でない)である。

その2セットと対句をつなぐのが、
イグナートの留守番のシーンで、
ここに突然出てくるおばさんが、
病床の主人公のシーンでも出てくる。

ちなみに、
時系列で言えば

病気で母との電話(ベッドの主人公)

別れた夫婦の対話1(カラー)
別れた夫婦の対話2(モノクロ)

イグナートの留守番
病床の主人公

となるはずで、

イグナートの留守番が、
カラーの続きなのかモノクロの続きなのかは判然としないのだが、
しかしイグナートの留守番はカラーで撮影されており、
実際に主人公の家に居るのだから、
カラーバージョンの続きと考えるのが良いだろう。


この
別れた夫婦の対話1(カラー)
別れた夫婦の対話2(モノクロ)
の対句表現は大変特徴的で、
あきらかにこの映画の内容を解き明かす鍵を握っている。


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2014年4月21日月曜日

タルコフスキー「鏡」・解読10

オープニング以降も、ダンテの神曲にならって、
「3」は頻発する。


例えば「転倒」
1、母と医者が話しているシーン、
棚に腰掛けて話しているが、棚が折れて転倒する。

2、兵役訓練で教官に逆らった子どもが、
雪の坂を歩いて上る時に転倒する

3、少年時代、失踪していた父が戻ってきたとき、
走っている最中に転倒する

と3回転倒している。



あるいは「開かない」
1、医者が母に話しかける内容。
「釘がないか?蓋が開かない」

2、母が印刷工場でシャワー室に入り、
中から鍵を閉めて開かなくする

3、モノクロ映像、幼児時代。
ドアを開こうとして開かない。
中から開き、母と犬が居る。



「植物」
1、冒頭で医者は言う。
「植物にも意識があると思ったことは」

2、幼児時代。老母の姿をした母に
「燃えている」という時、妹が草をくわえている。

3、父と母が草原で寝転んで、父が
「どちらが欲しい?男か女か」
と言っているシーン、父は草をくわえている。



「血」
1、医者が立ち去る際に、耳の後ろから血を出している

2、初恋の少女、唇が荒れて血が出ている

3、少年時代、母が頼みごとをしにゆく近所の家で、
鏡を見る。唇が荒れて血が出ている。



「落下」
1、幼児時代、猫の頭に白い砂糖をふりかける主人公

2、母が髪を洗うシーン、白い天上が落下する

3、記録映画、白い紙吹雪が落下する



「心配」
1、幼児時代、燃える納屋を見て子供が居るのではと心配する声

2、印刷工場、母は誤植があったのではと心配する

3、兵役訓練、模造弾が爆発するのではと心配する戦傷教官



「「老母」
1、母が髪を洗った直後、母が老母になって出現する

2、成人時代、留守を守るイグナートに老母が尋ねてくるが、
「家を間違えたようだね」と言って帰る

3、幼年時代、老母の母に向かって「燃えている」と言う。



「医者」
1、冒頭母に話しかける男は職業は医者

2、近所の家で、継父のイワノフは医者であったと言う

3、病床、医者が主人公の容態を説明する


他にも膨大にあるので以降省略。
また後ほど一覧で提示する。
(最初「鏡」というくらいだから対句対句でくると思っていたが、
よく調べたら三連であった)


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2014年4月20日日曜日

タルコフスキー「鏡」・解読9

さてダンテの「神曲」からの影響というか引用は、
「鏡」のそこかしこに見て取れる。
その最大のものは、3という数字である。
ダンテの神曲は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%9B%B2
3行詩の連続の形態である。

以下Wikiより引用

『神曲』は、
地獄篇 (Inferno)
煉獄篇 (Purgatorio)
天国篇 (Paradiso)

の三部から構成されており、各篇はそれぞれ34歌、33歌、33歌の計100歌から成る。
このうち地獄篇の最初の第一歌は、これから歌う三界全体の構想をあらわした、いわば総序となっているので、
各篇は3の倍数である33歌から構成されていることになる。

また詩行全体にわたって、三行を一連とする「三行韻詩」あるいは「三韻句法」(テルツァ・リーマ)の詩型が用いられている。
各行は11音節から成り、3行が一まとまりとなって、三行連句の脚韻が aba bcb cdc と次々に韻を踏んでいって鎖状に連なるという押韻形式である。
各歌の末尾のみ3+1行で、 xyx yzy z という韻によって締めくくられる。
したがって、各歌は3n+1行から成る。このように、『神曲』は細部から全体の構成まで作品の隅々において、聖なる数「3」が貫かれており、幾何学的構成美を見せている。
ダンテはローマカトリックの教義、「三位一体」についての神学を文学的表現として昇華しようと企図した。
すなわち、聖数「3」と完全数「10」を基調として、 1,3,9(32),10(32+1),100(102,33×3+1) の数字を『神曲』全体に行き渡らせることで「三位一体」を作品全体で体現したのである。

引用終わり


映画の冒頭を思い出してほしい。
最初にイグナートがテレビをつける。
次のシーンはモノクロで、高校生の吃音の治療。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%A1_(%E6%98%A0%E7%94%BB)


にあるように、女医の言葉と高校生の言葉が「鏡」になっているが、
同時に3という数字が象徴的に登場するシーンである。

少年はまず女医の眉間を見て、前に倒れる。
女医が後頭部に手を当てると、後ろに倒れる。
次に手を緊張させる。

3である。

手を緊張させた状態で女医は言う。
「3つ数えると緊張は解け、話せるようになる」

そして「1,2,3」
緊張は解け、どもらず話せるようになった状態で、
オープニングクレジットに移動。


以上はオープニングでの「3」の使用である。

「千と千尋の神隠し」の考察

をご覧いただきたいのだが、
(全てではないが)すぐれた作品の多くは、
冒頭部分に作品全体の本質を提示する。
タルコフスキーもここで、
「鏡」という側面と
同時に3、つまり「神曲」の後継作品であるという側面を、
効率的に提示している。


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