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2016年6月4日土曜日

転換点



というわけで、転換点である。
時間を20年程度無駄使いしましたが、既にピークは過ぎました。
明るい未来を期待しましょう。


以下山下奉文の遺言より

「新日本建設には、私達のような過去の遺物に過ぎない職業軍人或は阿諛追従せる無節操なる政治家、侵略戦争に合理的基礎を与えんとした御用学者等を断じて参加させてはなりません」

というわけで、財務省にまとわりついていた無節操なる政治家と、御用学者のゆくすえを温かく見守りましょう。
もっとも、日本人の良い所は転向スピードの速さです。瞬速で転向された方は、さほどペナルティーを受けないのは当然です。急ぎましょう。大急ぎで転向しましょう。

2016年5月11日水曜日

コンラッド「万策尽きて」 解読





コンラッド「万策尽きて」は、ワーグナー「ニーベルングの指環」を下敷きにした作品である。三島由紀夫の「豊饒の海」もそうなのだが、こちらは1902年作だから68年古い。三島ほどの壮大な展開は見せないが、非常に上手な作品である。


赤の部分のみ上手く分類できないが、登場人物の属性はほぼ共通している。主人公は偉大な船乗りだが、お金世界の圧力に負けて転落してゆく。


「指環」とは関係ないが、「西洋人の眼に」も素晴らしい出来だった。とにかくコンラッドは技術が高い作家である。読んで損は無いと思ったのでご紹介しておく。逆に三島の良さも理解できた。

2016年4月20日水曜日

「豊饒の海」追記12

作品を読むには、細部の検討まもちろんだが、全体のフレームを読む必要がある。ところが高校の現代国語で扱うのが全体のフレーム、構成ではなく、この言葉がどこにかかるか、みたいな細部ばかりである。そして、全体が読めない人間が大量生産され、自国の文学さえ楽しめなくなる。これはもはや、犯罪である。元来文芸が発達いた国である。国語が得意だろうが苦手だろうが、文学作品くらいだれでも楽しめるはずである。でも楽しめない人が多い。現代国語に毒されているのである。


「鏡子の家」という作品が三島にある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%A1%E5%AD%90%E3%81%AE%E5%AE%B6
に解釈が色々載っている。かなりひどい。
最後に七匹の犬をつれて主人が戻る。七匹の犬とは北斗七星である。北斗七星は北極星を守る存在である。北極星の中国名は天皇星である。つまり不在だった主人は天皇である。それが、この作品の理解の第一歩である。

「音楽」という作品もある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E6%A5%BD_%28%E5%B0%8F%E8%AA%AC%29
麗子の兄との近親相姦。これはアダムとイブの近親相姦を下敷きにしている。その麗子が兄の子を抱いて、聖母マリアのような顔になる。つまりこれは、旧約聖書創世記と、新約聖書をドッキングさせた作品なのである。間のショートカットが大胆だが、三島なりにキリスト教世界を日本の日常に翻案した作品である。


物語とは、主語と述語の順列組み合わせではない。物語は過去に存在し、発展しながら現在まで生き残った人類文化である。ある程度以上の見識を持った文学者は、かならず過去の作品に取り組み、吸収し、解体し、再構築し、読者に届ける。
作品全体の構成から見れば、この物語の進化の樹形図と、その図の上における位置が明快に見える。それを手がかりに、細部を読み解いてゆくのが正しい読み解きである。


「豊饒の海」は上記2作品より手がかかっている。それだけ読み解きには手がかかったが、これは別に特殊技能ではない。手間さえ厭わなければ、だれでも読み解けるし、理解して楽しむことができる。それが多く人々に広がれば、日本文化はもっと良くなるだろうに、「現代国語」が邪魔しているように、私には思える。