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2019年9月12日木曜日

勝ち組の錯視

MMTの左派っぷりが問題になっている。

だいたい西洋の思想は根底にキリスト教、あるいはそれを裏返したアンチキリスト教があり、その上にそれなりに優れた社会観察、分析があり、
その上に少々過激な社会変革ベクトルがある。三層構造になっている。

で、西洋人連中は自分たちの思想がキリストを中心にグルグル周り、
人類がかならずそうなると信じ込んでいる。
なぜなら彼らは「勝ち組」だから。
なんのかんの言って現在の世界の支配者は、
ヒンドゥーでもイスラムでも儒教でもなく、
キリスト教徒たちなのである。
そのことに対する客観的な視点を、西洋人は持ち得ない。
ちょうどお殿様が目黒もサンマをうまいと思い込むようなもので、
殿様に庶民生活を理解させようと思っても無理なのである。

で、さんざん文学受容のなかで繰り返されてきた歴史なのだが、
西洋のものを輸入する場合、

1、その内容にどの程度キリスト教的宗教心が含まれているか
2、その宗教心がどの程度事実を歪めているか、逆に言えば宗教心に歪められていない事実はどれか

を判別して再利用しなければならない。
明治維新から150年以上経過したのに、いまだにそれが実行できないのだから事態は深刻である。

MMTについて私は教科書も読んでいないような素人だから、
詳細に論じることはできないのだが、
物々交換否定論と租税貨幣論(無税国家不可能論)とJGP(労働価値説)の、
3つの結びつきの中に明らかに宗教的な、ドグマティックなものが含有されているように思えて仕方がない。

物々交換否定は、すなわち「貨幣とは神の意思である」
租税貨幣論(無税国家不可能論)は、すなわち「神の国を作らねばならない」
JGP(労働価値説)は、すなわち「労働によって神の国に参加できる」

「そんなことは学者は意図していない!!」

意図していないと思います。
でも彼らは勝ち組なので、そういう思考回路から脱却できない。

2019年9月6日金曜日

無税国家

世間では「無税国家は不可能」となっているようです。無税国家にしたから国家崩壊した事例でもあるのでしょうか、私は寡聞にして知りません。明快なサンプルもないのに断言する。トルストイの死の描写と同類です。せいぜい言えるのは「無税国家は有税国家より維持が難しい」くらいのはずです。難しいのはそれは事実ですが。

商品貨幣→金属貨幣→兌換紙幣→不換紙幣→電子信号と貨幣が進化するとして、

商品貨幣、例えば米の場合には徴税がなくても流通できます。食べれますから。
もっともこの通貨は発行が大変です。政府が大きな農家である必要あります。確かに難しい条件です。

金属貨幣の場合も同様です。政府が自前の鉱山もって、安定的に算出できれば無税国家は可能です。原材料に価値がある以上、コインにも価値があります。採掘費は当然コインで支払えます。ただ通貨私鋳を防止する警察が必要になりますから、商品貨幣よりさらに維持が難しいです。国家というか、政府が大きくなります。

兌換紙幣はさらに難しくなります。ようするに社会的道具立てがより大きくなる。
仮に徴税するとしても商品貨幣→金属貨幣→兌換紙幣→不換紙幣→電子信号と進化するにつれて維持は難しくなります。道具立てがたくさん必要になります。それを充実させてきたのが人類史です。だからsuicaに入った電子信号を皆信用している。電子信号のちからというより、道具立ての力です。

現代の貨幣制度でも、全銀システム以上のシステムを構築し、かつ警察を壊滅させなければ、無税でもやはり円が流通してゆきます。貨幣が電子信号となってから製造というか発行の手間は大幅に減りました。そのかわり道具立ては気が遠くなるほど充実させています。だから流通すると考えるのが自然です。無税だと耐久性はたしかに下がる。しかしその分さらに道具を充実させればよいだけのことです。ボトルネックであった発行の手間がない分、そちらに集中できます。

なに、ドルのほうがよい?国内で買い物できないんじゃ仕方がありません。やはり円が流通します。無税のほうがシステムとしては脆くなりますが、成立不能とは言い切れない。言い切る根拠がない。

根拠がないのになぜ言い切るか。おそらく主流派の「そんなことをすればハイパーインフレが」という恐怖と同じメンタリティーがMMTの中にもあって、それが「無税国家は存続不能」という形で現れるのであろうと思います。原因は同じ、表現形が違う。

原因は「貨幣」の特質にあります。貨幣は信用の道具ではありません。不信の道具です。だから貨幣の扱いには正体不明の恐怖が付着します。音楽の逆です。不信も信用の一種と言えなくもありませんが。




コミュニケーション・サークル【貨幣・言語・音楽】

2019年8月23日金曜日

戦後体制の終焉

戦後体制とはなにか。一言で言えばアメリカとイギリスが、ドイツと日本を抑え込む体制である。ソヴィエトだの、最近の中国だのは、脇役である。主役は英米、彼らの敵は日独、たったこれだけの単純なゲームが戦後という時代である。

あまりにも単純すぎるからこそ、ソヴィエトだの中国だのベトナムだのイラクだの色々トリックスターを投入して派手に演出してきた。だが物語の主演、助演はあくまで英米と日独である。国家としてのポテンシャルがそれだけ高いのだから、どうしてもそうなるのである。

どうやって日独を抑え込むか。ドイツを抑え込む為に使われてきたのがユダヤである。日本を抑え込むために使われてきたのが韓国である。アングロサクソンはこういうの、大好きなのである。韓国に加えて、江沢民以降の中国も「アメリカの日本押さえの一翼を担います」と宣言して、経済成長を許された。

さて、文政権の性格を熟知した安倍総理は、「アメリカの韓国を使った日本封じ込め」を解除する作戦に出た。前線に立ったのは河野外務大臣と世耕経産大臣である。二人はガリガリ突っ込んでいった。そしてとうとうGSOMIAが破棄された。これをもってほぼ、日本と韓国は分離されたと言ってよいだろう。つまり「アメリカの韓国を使った日本封じ込め」は解除されたと言ってよいだろう。つまり、戦後体制は終焉したと言ってよいだろう。

疑いようもなく、安倍晋三は外交に関しては天才である。いいもの見せていただいた。感嘆の声しか出ない。一般庶民としては経済政策もう少し頑張っていただきたい。しかし仮に自分が飢えて死んだとしても、安倍さんを恨む気持ちは無い。

一応今後のことも少し考えておこう。アメリカにとっては事実上日本が制御不能になった瞬間でもある。もっとも軍事力に差がありすぎるから、完全に手を離れたわけではない。アメリカが優位であり、エネルギー供給を握っている限り日本は簡単には反米にはならない。
問題は、前述の経済である。日本とアメリカの経済成長が連動するシステムを考えなければならないのだが、(そうしないとアメリカの恐怖を掻き立てる)私には考える力がない。課題である。