鈴木Pの「最後の平原はダンテ神曲の煉獄である」という発言から、
全体を見直してみる。
ダンテの神曲「煉獄編」は、
地獄編、天国編と同じく33章からなるが、
主題になっているのは7つの大罪の罪科のつぐないである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%9B%B2
より
第一冠 高慢者 - 生前、高慢の性を持った者が重い石を背負い、腰を折り曲げる。ダンテ自身はここに来ることになるだろうと述べている。
第二冠 嫉妬者 - 嫉妬に身を焦がした者が、瞼を縫い止められ、盲人のごとくなる。
第三冠 憤怒者 - 憤怒を悔悟した者が、朦朦たる煙の中で祈りを発する。
第四冠 怠惰者 - 怠惰に日々を過ごした者が、ひたすらこの冠を走り回り、煉獄山を周回する。
第五冠 貪欲者 - 生前欲深かった者が、五体を地に伏して嘆き悲しみ、欲望を消滅させる。
第六冠 暴食者 - 暴食に明け暮れた者が、決して口に入らぬ果実を前に食欲を節制する。
第七冠 愛欲者 - 不純な色欲に耽った者が互いに走りきたり、抱擁を交わして罪を悔い改める。
山頂 地上楽園 - 常春の楽園。煉獄で最も天国に近い所で、かつて人間が黄金時代に住んでいた場所という。
鈴木Pの言う平原は、山頂のことであろう。
そして風立ちぬは、
場所も章立ても7つに分かれている。
7という数字について、私はヨハネの黙示録の影響と考えていたが、
直接的には「煉獄編」の影響と考えたほうが確からしいだろう。
そこでさらに、以前考察した「タバコを7回すう」「鉄道に7回乗る」などを当てはめてみる。
七つの大罪がそれぞれ七回出現する、マニアックな構造になっている。
鉄道など菜穂子搭乗と混ざって私は考えていたのだが、
次郎の物語だから行動は全て次郎のものである。
なんでここまで細かく考えなきゃいけないのかと思われる向きもあるだろうが、
宮崎駿は普通に人類史上有数の芸術家である。
バッハやベートーヴェン同様、細かく解析できる作品を、作れるひとなのである。
タルコフスキー「鏡」の解析想起いただきたい。
ダンテの神曲、「地獄編」を参照しているが、
タルコフスキーは「3」にこだわって映画を組み立てた。
http://yomitoki2.blogspot.jp/search/label/%E9%8F%A1
宮崎は同じ神曲だが、煉獄編の主題である七つの大罪である「7」にこだわって、
映画を組み立てたのである。
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2014年7月30日水曜日
2014年7月27日日曜日
去勢と識字率
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%98%E5%AD%97
より
「1443年に朝鮮通信使一行に参加して日本に来た申叔舟は「日本人は男女身分に関わらず全員が字を読み書きする」と記録し、
また幕末期に来日したヴァーシリー・ゴローニンは「日本には読み書き出来ない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もゐない」と述べている」
*********
日本は昔から識字率が極端に高い。
特に注目すべきは、女性の識字率が高いことである。
こんな国は、世界に無い。
鎌倉以降の日本社会は直系家族で、
直系家族は女性の識字率向上がダイレクトに全体の識字率の向上に影響する社会だから、
日本の識字率の高さの原因は、
「なぜ女性の識字率が高かったのか」という疑問に答えれば、
ほぼ解決する。
「直系家族だったから識字率が高かった」という、
エマニュエル・トッドの説明は説明になっていない。
コリアは直系家族であるが、日韓併合までは識字率は低かった。
直系家族は一旦識字率が上がり始めたら、どんどん上がりやすい社会であるのは確かだろう。
しかし、識字率が上がり始めるかどうかは、又別の要因が介在するはずである。
「平家物語」によって識字率が向上したというのも、
説明になっていない。
日本の女性の識字率の高さは、
遅くとも平安時代には確認できるからである。
王朝女流文学の作品を見よ。
清少納言、紫式部、和泉式部など、
平安時代の宮廷は才女を矢継ぎ早に生産している。
文化というものは上から下にながれるものだから、
平安時代の上流階級の文化、
すなわち女性は読み書きできるのが偉い、という価値観が、
1443年までには十分浸透していたと思われる。
ではなぜ彼女たちが才媛だったか。
彼女たちは、女官なのである。
今日の言い方では官僚なのである。
宮殿があればそこではたらく官僚があるのは当たり前である。
通常、ユーラシアの国々では、
宮殿、特に後宮では宦官を雇用する。
女性も雇用はするが、
事務、運営の主役を担うのは去勢された男性である。
宦官というと馬鹿にされがちだが、
中国では宮廷運営には時に通常の官僚を圧倒するほどの実力を持った集団だった。
しかし、日本には宦官が存在しなかった。
他国では去勢された男性がこなしていた事務仕事を、
日本では女性がこなしていた。
こなしていたせいで、
事務をこなすだけでなく、
力余って王朝のかな文学まで発展させて、
以後女性も読み書きできるのが当然という社会の風潮になったのである。
宦官の存在の前提には、
去勢技術の発達がある。
騎馬民族には必須の技術なのである。
種馬を除くオスの馬は、去勢するのが基本である。
そうでなくては気が荒くなって、事故が頻発してしまう。
ところが日本は騎馬民族でなく、家畜文明として十分発達していないせいで、
去勢技術が無かった。
去勢技術が無かったせいで宦官が無く、
宦官が無かったせいで女官が後宮の仕事を仕切り、
女官が仕事を仕切ったせいで文字教養のある知的な女性が育ち、
文字教養のある知的な女性が上流階級の女性とされたおかげで、
全体の識字率が上昇したのである。
以上の理屈を簡略に述べると、
いささか失礼で、
いささか危険な表現になるため、
あえて長々と述べた次第である。
「馬の睾丸を抜いていたから、ユーラシアの女性は文字の学習が遅れた」
となるのである。
2014年7月23日水曜日
アナと雪の女王 解説
「アナと雪の女王」のような子供向けの話、童話、民話、御伽噺というものは、
単純なだけにいかようにも作れてしまうので、
どの話も似通ったものになりがちで、
「大西物語」のような明快な物語の発展、継承のルートを特定するのになじまない。
なじまないが今回の作品はかなり確実に、
宮崎アニメを継承、発展していると言える。
だいたいの時系列でまとめてみる。
元ネタとなっているのは、
トトロ、もののけ、千と千尋、ハウルである。
以下簡単に説明する
1、姉妹の物語であるところは「となりのトトロ」に相似
2、ヒロインの髪の色が変わるところは「ハウルの動く城」に相似
3、姉妹の片方が失われて、片方がそれを探すのは「となりのトトロ」に相似
4、幼少期の記憶の片隅にある、オラフ(雪だるま)に再会する。
幼少期の記憶に再会するのは「千と千尋の神隠し」に相似
(トロールとの再会も同様)
5、アナを送り届けて一度アレンデールから離れたクリストフが、
吹雪を見てアレンデールに引き返す様子、
およびその途中でトナカイのスヴェンと離れるさまは、もののけのアシタカとヤックルに相似
6、アナに手に魔力が徐々に浸透するさまはアシタカの手に呪いが浸透する様に相似
7、凍りついたアナがエルサの愛で徐々に解凍されてるくさまは、
荒廃した山がシシ神の死で徐々に若草が芽吹いてゆく様に酷似
8、最終的にエルサが超自然の力と共存できるようになったのは、トトロに相似
一つや二つでは「影響を受けた」と言いにくいが、
この数ならばほぼ確実に言えると思われる。
ディズニーは宮崎アニメを十分に研究し、消化し、
自家薬籠中のものとした。
七人の侍と荒野の七人、
ジャングル大帝とライオンキング、
甲殻機動隊とマトリックスのようなことが起こっている。
受動的だったディズニーのヒロインを、能動的なものに変える作業を、
宮崎アニメを下敷きにおこなったのだろう。
加えて本作品は、
姉妹の間に女性特有の微妙な緊張関係があるのを、表現できている。
これは宮崎アニメにはなかった。
女の子には千と千尋やトトロより、リアルで感情移入しやすい作品に見えるはずである。
男の子には不満足な作品かもしれないが、
映画の成功失敗のカギは大抵の場合女性消費者が握っている。
音楽も出来が良い。特に二重唱。
音楽は、実は日本映画の最弱点なのだが、
ジブリは久石の能力で、高品質な音楽の供給を受け続けれる幸運にあずかれた。
しかし久石も、二重唱のようなポリフォニックな曲は厳しいだろう。
個人的に宮崎アニメの成功の秘密は、
幼少期にトトロをテレビで見て、作風を十分すりこませることにあったと思っている。
その意味では、これは苦しくなった。
世界中の子どもが、この作品を何度もすりこまれることは、
ほぼ確実だからである。
トトロから25年、能動的な女の子のアニメという、ジブリが独占してきた大きな市場が、
ごっそり持っていかれそうな気配である。
弱点も無いわけではない
1、トロールが歌うシーン、ミュージカル映画では群舞のシーンということになると思うが、弱い
2、オラフは大変良いキャラクターだが、顔が可愛くない
3、クリストフが嵐の中を引き返すシーン、動画として弱い。
4、アナの解凍シーンも、もののけの緑の回復シーンに比べれば弱い
5、「愛」で全てを片付ける安易さ
しかし上気5点、いずれも致命的なものではない。
単純なだけにいかようにも作れてしまうので、
どの話も似通ったものになりがちで、
「大西物語」のような明快な物語の発展、継承のルートを特定するのになじまない。
なじまないが今回の作品はかなり確実に、
宮崎アニメを継承、発展していると言える。
だいたいの時系列でまとめてみる。
元ネタとなっているのは、
トトロ、もののけ、千と千尋、ハウルである。
以下簡単に説明する
1、姉妹の物語であるところは「となりのトトロ」に相似
2、ヒロインの髪の色が変わるところは「ハウルの動く城」に相似
3、姉妹の片方が失われて、片方がそれを探すのは「となりのトトロ」に相似
4、幼少期の記憶の片隅にある、オラフ(雪だるま)に再会する。
幼少期の記憶に再会するのは「千と千尋の神隠し」に相似
(トロールとの再会も同様)
5、アナを送り届けて一度アレンデールから離れたクリストフが、
吹雪を見てアレンデールに引き返す様子、
およびその途中でトナカイのスヴェンと離れるさまは、もののけのアシタカとヤックルに相似
6、アナに手に魔力が徐々に浸透するさまはアシタカの手に呪いが浸透する様に相似
7、凍りついたアナがエルサの愛で徐々に解凍されてるくさまは、
荒廃した山がシシ神の死で徐々に若草が芽吹いてゆく様に酷似
8、最終的にエルサが超自然の力と共存できるようになったのは、トトロに相似
一つや二つでは「影響を受けた」と言いにくいが、
この数ならばほぼ確実に言えると思われる。
ディズニーは宮崎アニメを十分に研究し、消化し、
自家薬籠中のものとした。
七人の侍と荒野の七人、
ジャングル大帝とライオンキング、
甲殻機動隊とマトリックスのようなことが起こっている。
受動的だったディズニーのヒロインを、能動的なものに変える作業を、
宮崎アニメを下敷きにおこなったのだろう。
加えて本作品は、
姉妹の間に女性特有の微妙な緊張関係があるのを、表現できている。
これは宮崎アニメにはなかった。
女の子には千と千尋やトトロより、リアルで感情移入しやすい作品に見えるはずである。
男の子には不満足な作品かもしれないが、
映画の成功失敗のカギは大抵の場合女性消費者が握っている。
音楽も出来が良い。特に二重唱。
音楽は、実は日本映画の最弱点なのだが、
ジブリは久石の能力で、高品質な音楽の供給を受け続けれる幸運にあずかれた。
しかし久石も、二重唱のようなポリフォニックな曲は厳しいだろう。
個人的に宮崎アニメの成功の秘密は、
幼少期にトトロをテレビで見て、作風を十分すりこませることにあったと思っている。
その意味では、これは苦しくなった。
世界中の子どもが、この作品を何度もすりこまれることは、
ほぼ確実だからである。
トトロから25年、能動的な女の子のアニメという、ジブリが独占してきた大きな市場が、
ごっそり持っていかれそうな気配である。
弱点も無いわけではない
1、トロールが歌うシーン、ミュージカル映画では群舞のシーンということになると思うが、弱い
2、オラフは大変良いキャラクターだが、顔が可愛くない
3、クリストフが嵐の中を引き返すシーン、動画として弱い。
4、アナの解凍シーンも、もののけの緑の回復シーンに比べれば弱い
5、「愛」で全てを片付ける安易さ
しかし上気5点、いずれも致命的なものではない。
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