3回出てくる言葉を、
それぞれ「模型・現物・抽象」あるいは「大・中・小」で分類すると、
以下のようになる。
あんまり綺麗な図にならない。
無念である。
解読という意味ではこのへんがそろそろ限界である。
なにしろ未完成作品だから。
以下は私の妄想である。
この小説には「三角標」という言葉が13回も出てくる。
「鉄道」などの言葉が「3回」づつ出現することからも、
全文が「3」にこだわっているものであることは確実である。
そういえば鳥取りの人も狩猟の際に足をきっかり60度に開いている。
これはおそらく人間三角標である。
そして私見では、3という数字、および三角標はおそらく三位一体教義を表現している。
ざっと解釈を説明すれば、
1)天気輪の柱が変形して三角標になった。
本文中
「そしてジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって、
しばらく蛍のように、ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ました」
という部分である。この直後ジョバンニは銀河鉄道に乗車している自分を発見する。
2)天気輪の柱は「法華経」で言う多宝塔である。
3)三角標はキリスト教で言う三位一体教義である。
4)ただし、この三位一体教義は、正教会での三位一体ではない。
正教会の(本来の)三位一体教義は、私の解釈では
父:脳
子:視覚
精霊:聴覚
である。
ニケア信条を読み解く 参照
一方カトリックの三位一体教義は、私の解釈では
(あるいは私の考える賢治の解釈では)
父:大(抽象)
子:中(現物)
精霊:小(模型)
である。
「フィリオクェ問題」参照
カトリックの三位一体教義ならば、「銀河鉄道の夜」に整合的である。
5)「銀河鉄道の夜」は北十字と南十字の描写に見られるように、
一見キリスト教に寄った作品である。
しかし天気輪の柱が変形して三角標になる、
つまり多宝塔が変形して三位一体教義になることかわわかるように、
あきらかに賢治の法華経信仰を普遍化してゆくものとして描かれている。
以上で「銀河鉄道の夜」解読を終わる。
想像以上にマニアックで濃い作品である。
人間コンピューター賢治にも、
あまりにも濃すぎてついに完成出来なかった。
しかしこういう作品を構想しようとすることじたい、
かれの極端な文章能力の高さを証明している。
感触的にはタルコフスキーや宮崎駿よりも堀辰雄よりも濃い。
私が似ている感触を持つのはドストエフスキーくらいである。
にほんブログ村
映画(全般) ブログランキングへ
0 件のコメント:
コメントを投稿