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2014年1月7日火曜日

映画雑感・継承

宮崎駿は1993年、Youtubeにもアップされているが、
黒澤明と対談をおこなった。
黒澤の最後の映画「まあだだよ」は、
1993年の作品である。


そして、1997年に、「もののけ姫」が出来た。
黒澤映画を少々でも見た人は同意くださると思うが、
もののけは黒澤映画の後継である。


オカルトな表現になるが、
対談のときに、なにかが黒澤から宮崎に渡されたのだろう。


たとえば「もののけ姫」の以下のシーン






あるいは「千と千尋の神隠し」の以下のシーン








は黒澤の得意なアングルである。
(「乱」より)









「もののけ」と「千と千尋」は、
言うなれば、半分黒澤が作った。
次の「ハウル」「ポニョ」には、
黒澤の影響はない。







同様に久石の音楽も、
もののけで格段によくなった。
荒々しい打楽器あり、精緻なオーケストレーションあり。
言うなればもののけと千と千尋は、
半分黒澤映画の音楽である。
荒々しい早坂文雄と、
精密な武満徹、
かれらの影響を受けながら、必死でつくったのが、
この二本の音楽なのである。
だからすばらしい。
(武満以上にオーケストレーション上手い作曲家、歴史上何人居るだろうか?
その意味でここで久石は、地獄のような辛酸を舐めたはずである)
そして音楽も、次の「ハウル」と「ポニョ」には黒澤の影響は無い。





真似とか影響とか言うと悪く思われがちだが、
文化というものは全て真似である。
宮崎が2作影響を受けて作品をつくるほどそれほど、
黒澤は大きな存在であり、
宮崎は力量が高い、ということである。




疑う向きがあるなら、
ビデオカメラ持って、
黒澤なり宮崎なりの真似をしてみていただければ分かる。

2014年1月3日金曜日

映画雑感・サクリファイスと黒澤の「夢」

若い頃は映画ファンだった。
当時はDVDなんてものはなく、
ビデオテープで映画を見ていた。
見まくった挙句にたどり着いたのが、
タルコフスキーだった。

タルコフスキー最後の作品「サクリファイス」を見たのは、
学生時代、地方の映画館でだった。
(ノスタルジアも、サクリファイスも、地方の映画館で見れたのである。
のんきな時代である。
他の作品はビデオで見た)

サクリファイスはキリスト教映画だった。
マタイ受難曲が流れ、
父と子と精霊の三位一体教義を美しく映像化したシーンを見て、
私は十分に満足しきってしまった。

最後にタルコフスキーの言葉が出る。
短い言葉だが、すでに末期ガンであった彼の、
遺言のような、絶叫のような言葉であった。

「この映画を息子アンドリューシャに捧げる。
希望と確信を持って

アンドレ・タルコフスキー」

そして私は映画ファンをやめた。
すでに彼が死去していたことは知っていた。
彼はソ連の映画監督であった。
資本主義社会ではこんな監督が生存不可能であることは、
十分承知していた。
「このレベルの作品がもう出現しないなら、ほかに楽しいことを探したほうが早い」

しかし結局二十年の時を経て、
ふたたび映画ファンに戻れたようである。
日本のアニメ監督の仕事のおかげである。
(宮崎も、押井も、タルコフスキーの影響を強く受けている)


年末あるデザイナーさんとお話していて、
その人が好きな映画として挙げていたので、懐かしくなり、
正月に久しぶりに「惑星ソラリス」を見た。

ふと気がついた。
黒澤明の「夢」あれはほとんど、
タルコフスキーのパクリではないかしら。

タルコフスキーの死去は1986年
黒澤の「夢」は1990年の作品である。
黒澤のほうがずっと先輩である。
普通先輩が後輩をまるごとパクる、というのは考えにくい。
しかしたとえば「惑星ソラリス」の水草のシーン



「夢」の最終章「水車のある村」の最後のシーン




まったく同じではないか?
発見してかなり動揺してしまった。

これほどの著名な作家が後輩をマルパクリとは、恥を知らないか?
と興奮しても仕方が無いので、
冷静になって一覧表にしてみた。

「夢」は8章から成る。

1)「日照り雨」に相当するタルコフスキーのシーンは思い浮かばない
2)「桃畑」の鈴を持った少女は、青い服でソラリスに登場する
3)「雪あらし」凍った女性という意味ではソラリスの妻役と共通
4)「トンネル」ストーカーに出てくる意味深い犬に共通
5)「鴉」画家を描いている。「アンドレイ・ルブリョフ」に共通。
6)「赤富士」思い浮かばない
7)「鬼哭」思い浮かばない
8)「水車のある村」上記のように水草のシーンがソラリスに酷似

このように類似がたくさんあるのである。

だれが見ても、6と7は出来が悪い。
なんでこの話を入れたのか理解不能であった。

日照り雨は狐の嫁入りの話だから結婚式の話、
水車のある村は葬式の話だから、
映画全体としては人間の一生を描いたものだ。

じゃあなんで原発と核汚染の話が必要だったのか?

タルクフスキーの遺作「サクリファイス」は、
核戦争によって壊滅した世界を救済しようとする話である。
主人公は「日本の木」を子供と育てており、
最後は着物を着て、尺八音楽を流しながら家に火をつける。

そういえばタルコフスキーは、チェルノブイリ事故のついてもコメントしていた。
「チェルノブイリという言葉は、ヨハネの黙示録にある苦よもぎ、という意味だ」
チェルノブイリ事後は1986年4月
彼の死去は同年12月である。


というわけで、私の組み立てた仮説は以下である。

1)黒澤はタルコフスキーの友人だったから彼の死を悼んだ。
2)のみならず、彼の映画、「サクリファイス」のメッセージを、強く受け止めた。
3)おりしもチェルノブイリの事故があった。
4)コッポラ、ルーカス、スピルバーグ、スコセッシによびかけて、
タルコフスキーの追悼映画を作った。それが「夢」であった。
全編タルコフスキーへのオマージュに満ちている。
しかしそのことは黒澤は口にはしなかった。

「夢」はパクリではなく、オマージュだった、
そう考えれば、赤富士、鬼哭の内容も納得できる。
この仮説が正しいとすれば、
黒澤も、コッポラも、ルーカスも、スピルバーグも、スコセッシも、
立派なもんだ。

今こういう人材が居れば、
反日映画をアンジェリーナジョリーが作るってこともなかったんだろうな。
ハリウッドの主要な人材全部黒澤ファンだから、結果的に親日になっていた。
黒澤一人のおかげで日本は凄く助かっていたのだな。

それにしても黒澤の晩年、日本の映画村から総スカンをくらっていたが、
あれはなんだったのだろう。もったいないことをしたもんだ。

2014年1月1日水曜日

財務省問題とニクソンショック

消費税が上がるそうである。
大変困ったことであるが、それはおいておいて、
今財務省内でおこっているであろうことを、読み解く。


三橋貴明 1969年生まれ
上念司 1969年生まれ
渡邉哲也 1969年生まれ
いずれもリフレ派の評論家であるが、
同年生まれで3人も居る。
(厳密には三橋氏はリフレ派ではないそうだ。
しかしだいたいの意味で捉えていただければわかると思うので、
以下そのままゆく)

私は68年生まれだが、
考え方としてはだいたい近い。
(無論経済学の知識は彼らの1/1000くらいである)


で、どうしてここに集中するのか。
それより上の世代では、リフレは少数である。
下の世代では、リフレは多数とまでは言い切れないが、
上の世代よりははるかに多い。
思うに、ニクソンショックが決定的に影響力を持つ。

1971年、ニクソンがドルと金の兌換を停止した。
それ以降、紙幣と金は切り離されたままである。
上記3人が物心ついたときには、
すでに金と紙幣が関係ない世界に生きていたのである。
だが本位制時代の考え方は残っていた。

だから上記3人の世代は、
現在の世界を「言語で説明しようとする」。
その下の世代になると、もはやあたりまえだから、
あまり論じなくなる。


ここらあたりが、生まれたときから不換紙幣時代という、
最初の世代なのである。
ということは、
財務省内部でも、
1969年生まれくらいを境に、
経済にたいする意見が大きく異なっているはずである。


それより上の世代は、
「財政均衡至上主義」
「国債発行はなるべく抑えたい」
「通貨の価値を高めたい」
という考えがマジョリティーのはずだし、
それより下の世代は、
「財政均衡よりも景気回復が重要」
「国債は通貨と基本的にはかわらない」
「通貨の価値を気にするのは意味がない」
と考えている人が、マジョリティーのはずである。
財務省内で以上2派閥、というか2世代が、
大きく戦っているはずである。

といっても年上と年下なので、
かならず旧世代が勝つのだが、
旧世代の人々は、
大変居心地の悪い思いをしながら、
仕事をしているはずである。
なぜならすでに、新世代が数的にはマジョリティーだから。


同じようなことが戦前にもおこった。
戦艦が大事なのか、航空機が大事なのか、という議論である。

旧世代に人々は航空機に適応できず、
新世代の人々は航空機をやりすぎた。
(真珠湾奇襲は、航空機崇拝をやりすぎた例だと思っている)

こういう対立がおこっていると、
組織というものは、ダメになる。
不安感、焦りがどうしても拭えなくなる。
それで冷静な議論が出来なくなる。
対立を解消するには共通の目的を持つことだ。
むちゃでもなんでも、組織を維持する為にどこかに行こうとする。
大日本帝国海軍と陸軍は、
対中戦争、対米戦争に頭をつっこんで、
崩壊していった。
消費税増税は、対米戦争ほどのダメージが無いが、
対中戦争程度のダメージはある。


1969年生まれが次官になるころ、
1969+55歳で、だいたい2024年、くらいから財務省は落ち着くんだろうなとおもう。
落ち着けば冷静な経済運営が出来る。

逆に言えば、あと11年くらいは、財務省は不安定さを持つ。
焦って消費税増税を強行するようなことを、してしまう。
こまったものである。
11年くらいの辛抱である。

(とはいうものの、なんのかんの言ってエリートである。
あと3年くらいで大勢は決すると思っている)