正月休みを利用してようやく「騎士団長殺し」を読んだ。
現役作家の詳細な読み解きは、遠慮すべきだろうからやらない。
作者が反日的であるかどうかのみ考察する。
南京大虐殺については議論が絶えない。
作者はここで「虐殺あった派」にくみしているが、
全体を読めば反日的ではないことは容易に理解できる。
むしろベタ日本的である。
「カフカ」以降の作者ははっきり日本回帰をしている。
https://matome.naver.jp/odai/2147554516137358701
本作でドン・ジョバンニのシーンを取り出して描写したのは、
三島由紀夫の「豊饒の海」が、ワーグナーの「ニーベルングの指環」を下敷きにしているからである。
https://matome.naver.jp/odai/2146003917202443101
オペラ世界で「ニーベルングの指環」以上の作品となると、
同じワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」か、モーツアルトの「ドン・ジョバンニ」くらいしかない。
だから三島を後継し、それ以上の世界を目指すという意味でも、妥当な選択である。
作中「騎士団長殺し」の絵の人物は「天平風の衣装」を着ている。
女性の前での暗殺事件、普通に考えれば大化の改新の乙巳の変のシーン、つまり蘇我入鹿暗殺事件のシーンである。
主人公はまりえを救い出すために、騎士団長を殺す。
つまり主人公は中大兄皇子になるのである。のちの天智天皇になるのである。
小倉百人一首が天智天皇から始まるのをみればわかるとおり、
「天皇」および「日本」は天智、天武あたりからはじまった称号であり、
ここで主人公は天皇となり日本史を一からやり直すのである。
騎士団長を殺して地獄めぐりをする主人公は、地下でドンナ・アンナに導かれる。
アンナはつまり、蘇我入鹿暗殺事件を目撃した皇極天皇であり、主人公の妻、ユズでもある。
皇極天皇は一度退位して再度即位し、斉明天皇となるのだが、
そのことと主人公が一度離婚してのちに復縁することは、パラレルになっている。
主人公=ドンジョバンニ(なので少しは女遊びをする)=中大兄皇子(天智天皇)は、
まりえのために暴力を振るう。自ら手を汚すのである。
彼は暴力を好むものでも、肯定するものでもないが、まりえ救済が優先されている。
ベタ右翼的作品というのが第一感である。詳細読み解けば違うかもしれないが。
ちなみに「ハチに刺されて死ぬ」というのは、
戦時中の替え歌である。
昨日生まれたブタの子が
蜂に刺されて名誉の戦死
ブタの遺骨はいつ帰る
昨日の夜の朝変える
ブタの母さん悲しかろ
となるとまりえの母は太平洋戦争の戦死者であり、
免色の入っていた拘置所はおそらく巣鴨であり、
まりえは「戦前の日本」の子供であり、
日本の文化の継承のためには、あえて流血をも躊躇しない、という意味となる。
ページ
2020年1月11日土曜日
2020年1月5日日曜日
論語について 4
真説氏の見識はかなり大胆なものである。
もちろん証拠はなく、あくまで仮説なのだが、ほかの説だって全部仮説である。
現場に行けるわけじゃなし。
真説氏の説:孔子の父はある町(都市国家)のボスだったが、魯の季孫氏に殺され、孔子の母は季孫氏の家内奴隷となった。
孔子も奴隷だったが、頭の良さを見込まれて図書室での勉強をさせられ、
結果として当時最大の知識人になった。
実際孔子の父に関して伝わっていることは、大力の勇者であったということだけである。
しかも孔子は父の墓所を知らない。ようするに孝ではない。孝の本家本元が孝ではない。
だからこれくらいのことがあったとしても、全く不思議ではない。
なぜ孔子が弓射や馬車の制御ができたかという疑問も解消する。
先に季孫氏と言ったが、当時魯の国は季孫氏、孟孫氏、叔孫氏の三氏が国政を壟断して王には権力がなかった。三氏とも王家から臣籍降下した家柄である。源平藤橘が政治をやっている状態だったのである。孔子はその季孫氏の奴隷だったのだろうと。
真説氏はさらに仮説を加え、「孟子は孟孫氏だったのではないか」と言う。なにしろ類推以外の証拠がない。ないのだが私には注目すべき仮説と思われる。
孟子は今日我々が見る論語に多大な影響を与えた人物である。最大の編纂者かもしれない。その孟子が孟孫氏出身となると、論語の中身は政治的意図にみちみちた、プロパガンダ文章だったはずである。その文章を、後世の人々は「聖賢の言葉」「道を示す言葉」としてとらえた。捉えてしまった。単なる勘違いである。
だから普通に読むと頭の固いおじさんの言葉集でしかない。おそらくそれが自然な反応である。しかし何度も読むうちに、自分で自分を洗脳してしまって、人生の指針のように思えてしまう。
もちろん証拠はなく、あくまで仮説なのだが、ほかの説だって全部仮説である。
現場に行けるわけじゃなし。
真説氏の説:孔子の父はある町(都市国家)のボスだったが、魯の季孫氏に殺され、孔子の母は季孫氏の家内奴隷となった。
孔子も奴隷だったが、頭の良さを見込まれて図書室での勉強をさせられ、
結果として当時最大の知識人になった。
実際孔子の父に関して伝わっていることは、大力の勇者であったということだけである。
しかも孔子は父の墓所を知らない。ようするに孝ではない。孝の本家本元が孝ではない。
だからこれくらいのことがあったとしても、全く不思議ではない。
なぜ孔子が弓射や馬車の制御ができたかという疑問も解消する。
先に季孫氏と言ったが、当時魯の国は季孫氏、孟孫氏、叔孫氏の三氏が国政を壟断して王には権力がなかった。三氏とも王家から臣籍降下した家柄である。源平藤橘が政治をやっている状態だったのである。孔子はその季孫氏の奴隷だったのだろうと。
真説氏はさらに仮説を加え、「孟子は孟孫氏だったのではないか」と言う。なにしろ類推以外の証拠がない。ないのだが私には注目すべき仮説と思われる。
孟子は今日我々が見る論語に多大な影響を与えた人物である。最大の編纂者かもしれない。その孟子が孟孫氏出身となると、論語の中身は政治的意図にみちみちた、プロパガンダ文章だったはずである。その文章を、後世の人々は「聖賢の言葉」「道を示す言葉」としてとらえた。捉えてしまった。単なる勘違いである。
だから普通に読むと頭の固いおじさんの言葉集でしかない。おそらくそれが自然な反応である。しかし何度も読むうちに、自分で自分を洗脳してしまって、人生の指針のように思えてしまう。
2019年12月21日土曜日
論語について 3
孔子は紀元前479年没らしい。没後73年で戦国時代に入る。それから200年後に前漢になる。前漢は200年経過してほぼ紀元0年ごろ後漢になる(実際には紀元25年)。200年程度存続した後漢の終わり頃、鄭玄(ていげん、あるいはじょうげんとも読む)という学者が論語に注釈をつけた。これが鄭注である。部分的にも現存する注の最も旧いものである。鄭玄は三国志にも登場する人物で、書いたときが黄巾の乱とどちらが先か判然としないが、かりに黄巾の乱ジャストと考えても、孔子の死去からその時既に663年経過している。現代に置き換えると、北畠親房の神皇正統記の初めての注釈が今年出版されました、というにほぼ等しい。紙が発明されたのが後漢だから、竹簡時代に注釈ができなかったのは仕方がない。しかし660年以上前となると、まるでリアリティのない遥か昔の話である。当時の時点でもはや文の正誤なんぞ判読しようがない。ほぼ最初の注でそれなのであるが、それからさらに1800年が経過している。以上を要約すると、事態は絶望的なのである。
似たように絶望的な状況に陥っているのが「聖書研究」である。新約聖書には4つの福音書が並んでる。マタイ、ルカ、マルコ、ヨハネである。それぞれ内容が違う。それぞれ制作年代が違う。それぞれ自分の考えがあり、その考えはイエスの考えではない。そしてもともとそうなのだがコピーを重ねるごとに、当時は筆写だから大量の間違いが発生し続けた。教会組織が完備されて以降の間違いは大したことがないが、そこに至るまでの段階でなにしろ素人が筆写しているもので途方もない量の間違いが生産された。どこかに原本がないのか。ない。どこかに「これがイエスの考えだ」という確証ある資料があるのか。ない。だから研究者は少しでも古い資料を求めてゆき、時々発掘されると狂喜乱舞して妄想を炸裂させる。
そんな苦労を積み重ねたある聖書学者が、かれは世界的権威の一人らしいのだが、研究に研究を重ねた結果とうとうクリスチャンやめてしまったと言う話がある。本邦の誇る学者の田川建三氏も「無神論クリスチャン」を標榜しているそうである。研究の結果、信仰をうしなってしまう。研究か信仰かの二択である。儒教もだいたい似た状況である。真説氏は宮崎市定を崇拝している。勢いにつられて宮崎論語を見てみた。たしかに、もはや宮崎は儒者ではなくなっている。孔子を愛してはいるだろうが、崇拝者ではない。そして論語本文も間違いと思えるところをバンバン訂正してゆく。誤字である、脱字である、錯簡である。情け容赦ない。
近代文学解析しても事情は同じである。きっちり解析すると、神格化はかならず脱落する。限界のない天才ではなく、限界はあるが優秀で、勤勉な人間が立ち上がる。研究者たちはそれを嫌がってきっちりした解析をしたがらないのかもしれない。研究対象の限界を認めると、自分自身の限界を認めるような気がするのかしら。
そして、聖書や論語の研究のエネルギーの大半が、実は本文そのものではなく、バージョンに違いや成立へ推測に当てられている状況を見ると、近代文学の研究が本文を読まないのは感触的によくわかる。聖書や論語は、なんのかんのいって量が少ないのである。論語全文暗唱している人は、昔の日本にはゴロゴロ居た。量が少ないからである。だから「読む方法」を考える必要がない。本当はあるのだがあまりない。そしてその態度をそのまま近代文学に移植したのが、現代の近代文学の研究である。
似たように絶望的な状況に陥っているのが「聖書研究」である。新約聖書には4つの福音書が並んでる。マタイ、ルカ、マルコ、ヨハネである。それぞれ内容が違う。それぞれ制作年代が違う。それぞれ自分の考えがあり、その考えはイエスの考えではない。そしてもともとそうなのだがコピーを重ねるごとに、当時は筆写だから大量の間違いが発生し続けた。教会組織が完備されて以降の間違いは大したことがないが、そこに至るまでの段階でなにしろ素人が筆写しているもので途方もない量の間違いが生産された。どこかに原本がないのか。ない。どこかに「これがイエスの考えだ」という確証ある資料があるのか。ない。だから研究者は少しでも古い資料を求めてゆき、時々発掘されると狂喜乱舞して妄想を炸裂させる。
そんな苦労を積み重ねたある聖書学者が、かれは世界的権威の一人らしいのだが、研究に研究を重ねた結果とうとうクリスチャンやめてしまったと言う話がある。本邦の誇る学者の田川建三氏も「無神論クリスチャン」を標榜しているそうである。研究の結果、信仰をうしなってしまう。研究か信仰かの二択である。儒教もだいたい似た状況である。真説氏は宮崎市定を崇拝している。勢いにつられて宮崎論語を見てみた。たしかに、もはや宮崎は儒者ではなくなっている。孔子を愛してはいるだろうが、崇拝者ではない。そして論語本文も間違いと思えるところをバンバン訂正してゆく。誤字である、脱字である、錯簡である。情け容赦ない。
近代文学解析しても事情は同じである。きっちり解析すると、神格化はかならず脱落する。限界のない天才ではなく、限界はあるが優秀で、勤勉な人間が立ち上がる。研究者たちはそれを嫌がってきっちりした解析をしたがらないのかもしれない。研究対象の限界を認めると、自分自身の限界を認めるような気がするのかしら。
そして、聖書や論語の研究のエネルギーの大半が、実は本文そのものではなく、バージョンに違いや成立へ推測に当てられている状況を見ると、近代文学の研究が本文を読まないのは感触的によくわかる。聖書や論語は、なんのかんのいって量が少ないのである。論語全文暗唱している人は、昔の日本にはゴロゴロ居た。量が少ないからである。だから「読む方法」を考える必要がない。本当はあるのだがあまりない。そしてその態度をそのまま近代文学に移植したのが、現代の近代文学の研究である。
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