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2009年7月3日金曜日

「カラマーゾフの兄弟」をよみとく 10

最後に主要登場人物対応表を掲載しておく。
なんとも上手な、小説技法ではありませんか。

2009年7月2日木曜日

「カラマーゾフの兄弟」をよみとく 9

もはや最後のパーツになった。
少年たちの中で、アリューシャに該当するのは、
コーリャであろう。
アリューシャがミーチャを救出するがごとく、
ゾシマの兄の記憶が決闘に向かうゾシマの魂を救出するがごとく、
コーリャは犬のジューチカを救出する。
そしてこれで、カラマーゾフの兄弟が、
都合4セット完成したことになる。

1)本来の兄弟
2)僧院での女性信者
3)ゾシマの過去語り
4)未来のカラマーゾフたち

僧院で女性信者はおそらく、
神の世界でのカラマーゾフの描写であろう。
現在、過去、未来、カラマーゾフは繰り返し存在する。
この構成の背後の思想を性急に類推しても、成果はすくないであろう。
ただこの構成をより詳細に検討することからのみ、
カラマーゾフというこの、
おそらく世界中の文学好きの頭を、
重苦しく押さえつけてきた問題作品の、
言葉は悪いが、有効利用の方法が開けるのではないかと、
私は考えている。

2009年6月28日日曜日

「カラマーゾフの兄弟」をよみとく 8

それで問題は、
少年たちの中でミーチャに該当する人物は誰かということである。
やや奇抜な結論になるが、
それは犬のジューチカ・ペレズオンである。

共通点としては
ミーチャは恋人を乗り換えている。
ジューチカ・ペレズオンも、飼い主を乗り換えている。
この一点である。
ちなみにゾシマも、軍隊から僧院に乗り換えている。
ゾシマの信者の3番目の女性も、知人のアドバイスからゾシマのアドバイスに乗り換えている。
なんでそんなに乗り換えキャラなのか、いまだによく理解できていないが、
とにかくミーチャ(および彼の化身たち)は、徹底的な乗り換えキャラということで、
終始一貫しているのである。

2009年5月29日金曜日

「カラマーゾフの兄弟」をよみとく 7

それでは未来に対応したカラマーゾフ兄弟とは誰か。
当然ながら、コーリャと仲間たちである。

それで少年たちのキャラクターを仔細に見てみる。
やはり分かりやすいのは、陰湿なイワンキャラである。
僧院でも、過去の人物でもそうだった。
未来の人物の場合は、
イリューシャがそれに相当する。
過去の人物ミハイルのごとく、
あっさり病死するからである。
では彼は、何の罪を告発したか。
「ジューチカに針を飲ませてしまった」
という罪である。

イワン:父殺しを告白する。
僧院の女4:夫殺しを告白する。
ミハイル:女殺しを告発する。
イリューシャ:ジューチカ殺しを告発する。

となって、これも綺麗に並ぶのである。

2009年5月25日月曜日

「カラマーゾフの兄弟」をよみとく 6

ここで「ゾシマの過去語り」を整理してみる。


大変わかりやすい。
さらに、以前アップした、ゾシマの女性信者のまとめと並べてみる。


適当に登場の順序を入れ替えながら、
上手に素材を使いまわしているのがわかる。
ではほかに、このような書き方をしている人々はいないものか。

過去語りの中の3兄弟は、文字通り過去の3兄弟である。
僧院の女性達は、3兄弟を抽象的に表現している。
文中で進行するのは、3兄弟の現在である。

そう類推するならば、
3兄弟の未来対応した登場人物が、
かならず存在するはずである。

2009年5月24日日曜日

「カラマーゾフの兄弟」をよみとく 5

僧院の女性信者の分析から、
おそらくゾシマの過去語りの登場人物も、
カラマーゾフ兄弟に対応していることが検討つく。

ゾシマの過去語りの登場人物は、
四人いる。

1:ゾシマの兄。若くして病死。
2:ゾシマ自身
3:召使
4:ミハイル

このうちミハイルは、
殺人と、隠蔽と、告白から、
ほとんどまったくイワン・カラマーゾフと同一人物である。

1:ゾシマの兄も簡単である。
本文の中で「アリューシャにそっくり生き写し」と書いてある。
つまり病死したゾシマの兄は、
アリューシャ・カラマーゾフと同一人物である。

最後にミーチャがだれなのか、さえ確定すればよい。
ゾシマ自身か、召使か、となるが、
ゾシマと召使の関係は、ようするに、殴る、殴られるの関係である。

となればこれも簡単。
ミーチャは、自分の親父も殴り、
イリューシャの親父も殴り、
どさくさにまぎれて召使も殴った。
つまり、ゾシマの過去語りの中では、
ゾシマ本人=ミーチャなのである。

2009年5月23日土曜日

「カラマーゾフの兄弟」をよみとく 4


ということで、とりあえずこれまでのまとめである。
第二編「場違いな会合」での、
ゾシマの女性信者の5人は、
全てカラマーゾフ兄弟に対応している。
大変美しい構造である。

それで次に考えることは、
「この小説のほかの部分にはこのような構造はないか」
ということである。
このシーンでこのように美しい構造を見せた以上、
これがドストエフスキーの考え方なのだから、
他のシーンでもかならずあるはずである。

考えるポイントは恐らく「殺し」で、
四人目、イワンに対応するキャラクターである。

と考えると、すぐ出てくる。
「ミハイル」である。
ゾシマ長老の思い出話に出てくる、
昔殺人をして、それを隠しており、
ゾシマの決闘→出家話に触発されて、
自分の罪を告発する紳士である。
かれのキャラの、繊細さ、陰惨さは、
イワンは、僧院の四人目の信者に、
どこかかさなるところがある。

2009年5月21日木曜日

「カラマーゾフの兄弟」をよみとく 3

そこで僧院につどったこの5人の女性を、
もう少し詳しく見てゆく。

一人目は癲癇の女性。
二人目は子供が死んだ女性。
三人目は、失踪した息子に帰ってきて欲しくて、過去帳に息子の名を記載するかどうかゾシマに相談する。ゾシマに説得されてやめる。ゾシマは「近いうちに消息がある」と予言する。
四人目は夫を殺した女性。ゾシマに罪は許されると言われる。
五人目は元気な農婦。ゾシマにお金を渡して、ゾシマを喜ばせる。

居住地の僧院からの距離の区分により、
一人目と五人目は、ワンセットであり、
二人目と四人目はワンセットであり、
三人目は単独でセットをつくっていることが明らかになっている。
この3つのセットのそれぞれの属性を見てみる。

一人目と五人目のセットは、「癲癇もちで元気」
なんだかわからない。

二人目と四人目のセットは、「子供が死んで、夫を殺した」
これは確かにセットであって、ようするに陰惨組である。

三人目セットは、「迷っていたが説得に従う」

そして、カラマーゾフの読者ならば既にご理解いただけたと思うが、
どうも一つ目の「癲癇もちで元気」なのは、
アリューシャに近いキャラクターである。

二つ目の「子供が死んで、夫を殺した」は、
イワンに近いキャラクターである。
実際には母が死んで父を殺した、となるのであるが。

三つ目は恐らく、ミーチャなのであろう。
小説の最後でミーチャは、シベリア送りになるところを、
アリューシャの説得で脱獄してアメリカに行こうとするし、
そのとき「俺は必ず戻ってくる」と宣言する。

この、物語の比較的最初の部分に出てくる、
五人の夫人の描写は、実に、
小説における三人の振る舞いを巧妙に暗示しており、
全編の雛形、あんちょこ、あるいは要約に近いものになっているのだ。
なんというか、ドストエフスキーの恐ろしいまでの構成力、筆力である。

2009年5月19日火曜日

「カラマーゾフの兄弟」をよみとく 2

気になって第二編「場違いな会合」の、
長老と女性信者の面会シーンを詳しく見てみる。
長老は5人の一般女性と、
一人の貴婦人(とその娘)に面会する。
順を追ってみてゆくと、

一人目は癲狂やみで、ヒステリーを起こしている。
長老はストールをかけてやる。ヒステリーは治まる。
6キロくらい先の村に住んでいて、以前も来たことがあるらしい。

二人目は300キロ遠方から来た人で、
子供が死んでしまった悲しさに耐えられなくなり、
亭主をほうっておいてここに来た。
長老にさとされて、心が癒され、亭主が心配になって家に帰る。

そらきた。
いきなりこれだ。
これは絶対に臭い。
一人目が6キロ先に住んでいて、
二人目が300キロ遠方の人。
このキロ数だけでも、非常に意図的な匂いがプンプンする。
詳細すっとばして、
続けて住所から僧院への距離だけを注目する。

三人目はこの町の住民。
四人目は500キロ遠方。
五人目は6キロ。

ほら、完璧ではないか。
5人の庶民の女性信者たちの、
住所と僧院からの距離は、
意図的に対称的に設定されているのである。

一人目6キロ
二人目300キロ
三人目0キロ
四人目500キロ
五人目6キロ

300と500の違いこそあれど、
きれいに対称になっている。
一人目と五人目は対になっているし、
二人目と四人目は対になっている。
ちょっとしたエピソード的な目立たない箇所だけど、
ドストエフスキーはここまで考えて小説を書いていたのである。

2009年5月18日月曜日

「カラマーゾフの兄弟」をよみとく 1

高校生のころから何度も読んできた本なので、
何回目の通読かは覚えていないが、
おそらく10回目以上だったのだろう、
わたしがその、決定的なヒントらしきものに気が付いたのは、
第二編「場違いな会合」の中の一節を読んでいたときのことだった。

長老はカラマーゾフ家の会合を一時抜け出して、
信者の女性達に面会に行く。
そのなかの一人が、やたら暗く、陰惨で、印象的である。

「結婚生活はつらいものでした。
夫は年寄りで、それはひどくわたしを痛めつけしたものでございます、、、
そのとき、あの大それた考えが心に湧いたのでございます」

この女性は、自分につらくあたる夫を殺害してしまったのだ。
長老はまずいと思ったのか、声を低くさせる。

「待ちなされ」
長老は言うと、耳をまっすぐ彼女の口に近づけた。
女は低い声でささやきつづけたので、ほとんど何一つ聞きとれなかった。
「3年目になるのだね?」
長老はたずねた。
「3年目です」

長老は彼女を励まし、首の聖像を彼女にかけてやる。
彼女は無言のまま、地に付くほど低く一礼する。

なにかあるぞ、直感的にそう思った。
この小説は父殺しが主題であるし、
長老は「場違いな会合」の最後で、
ミーチャの足元に深い礼をする。
そのミーチャはつまり、父親殺しの容疑者になる。
この、長老と信者の女性達の面接は、
単なるエピソードでも状況描写でもなく、
カラマーゾフの兄弟全編を予言するかのように、
主題を暗示している箇所ではないだろうか?

つまりカラマーゾフの兄弟という小説は、
ロシア的にのんべんだらりんと長い小説ではなく、
緻密に構造が計算されたものなのではないだろうか。

そしてその構造の謎をとくヒントが、
第二編「場違いな会合」の中の、
この長老と女性信者たちの面会のシーンに隠されているのではないだろうか。