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2013年12月23日月曜日

風立ちぬ・解説17


宮崎駿の映画「風立ちぬ」は、
堀辰雄の「風立ちぬ」を下敷きにしている、というより、
題名そのまんまである。

しかし、堀辰雄の「風立ちぬ」は、
宮崎の映画公開後も特に研究はされていないようである。
ネットで調べても、よくわかるレビューが出てこない。
理由は簡単である。
正直、面白くない小説だからである。


まず文体が悪い。
ものすごく読みにくい文体である。
内容もつかみにくい。
簡単な内容なのだが、文体が悪いせいで、
ものすごく把握しづらい。
といって、悪い小説とも言いづらい。
大変優れた部分も、あるにはあるからである。

とにかく下敷きである以上、
堀辰雄の「風立ちぬ」を理解しないことには、
宮崎の映画も理解できない、はずであるので、
いやいやながら読んだ。


短編小説「風立ちぬ」は、
5章に分かれている。

序曲

風立ちぬ

死のかげの谷

の5部構成である。


構成に凝るのが堀辰雄の特徴のようである。
私は新潮文庫の風立ちぬを読んだのだが、
あわせて収録されている「美しい村」も、
同様に構成に凝っている。

序曲
美しい村

暗い道

の4部構成になっている。

「美しい村」という小説の中の一部が
「美しい村」というタイトルになっていて、
かつそのなかで主人公は「美しい村「」という小説を、
書き進めている、というわけで、
入れ子構造というやつである。

そして、
第二章「美しい村」にはサブタイトルとして、
「或いは 小遁走曲(フーガ)」
と書かれている。
バッハの小フーガ ト短調 BWV 578のことである。
http://dtm-orchestra.com/little_fugue_in_g_minor.htm


中身は特に小説らしい話の展開はなく、
ただ単に主人公が村のあちこちを歩き回るというだけの話なのだが、
薔薇が、小鳥が、レエノルズさんが、天狗岩が、じいやが、子供が、少女が、
くりかえし登場してきて、
フーガで主題が繰り返される感じがしなくもない。

私も一応細かく分析してみたのだが、
フーガ的ではある。ただし、やはりフーガではない。
よく言って頑張って書いたフーガ風の文章である。


フーガというのは、カノン(輪唱)の発展したもので、
「かえるのうたが、きこえてくるよ」という歌をパートごとにずらして歌い始める、
あの形式と思ってさしつかえない。


フーガ、カノンの最大のポイントは、
ポリフォニー、つまり同時に複数のメロディーが演奏されることである。
一人が「きこえてくるよ」と歌うとき、
今一人は「かえるのうたが」と同時に歌っている。
しかし、文章でそれは不可能である。
だから小フーガをまねしたといっても、
まねしきれるものではなく、
単に読みにくい文章で、
エゴと環境がやたらと混濁し、
過去と現在がやたらと混濁するだけである。


「風立ちぬ」同様、面白いものではない。
しかし、全体の構成、4部構成というか、
冒頭に「序曲」とついている以上、
四楽章構成と言った方がよいだろう、
この構成自体は面白い。


4楽章構成で、2楽章がフーガとなると、
西洋音楽の分類では、典型的な「教会ソナタ」である。
「教会ソナタ」、たとえば無伴奏ヴァイオリンのためのソナタがそうなのだが、

1楽章:ゆっくりとして、自由な曲
2楽章:フーガ。テンポは速め。
3楽章:ゆっくりとした歌うような曲
4楽章:早目のテンポの曲

となる。

(教会ソナタの例
http://youtu.be/981I153BSXY



それで堀辰雄の美しい村では、

序曲:過去の女性への手紙、散漫な内容
美しい村:フーガ。村の中を歩き回る。
夏:新しい女性との出会い、まったりとした時間
暗い道:その新しい女性との道行きの短い描写

となり、教会ソナタの緩急緩急をほぼ正確に写している。


このような、音楽形式の小説を、
トーマス・マンも書いているのだが、
それは次回。

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