前回堀辰雄の「風立ちぬ」を解読しようとして、
堀辰雄の「美しい村」に話がそれた。
「美しい村」は教会ソナタという形式で書かれており、
音楽の形式を踏襲して書かれた小説であった。
さらに寄り道だが、
音楽の形式を踏襲してかかれた小説の代表作としては、
トーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」がある。
「トニオ・クレーゲル」はソナタ形式で書かれている。
「トニオ・クレーゲル」の説明の前に、
まずはソナタ形式の説明をする。
まず書かなきゃいけないことは、
古い、バッハの時代の「教会ソナタ」と、
新しいハイドン・モーツアルト以降の「ソナタ」は、
まったく別物であるということである。
はっきり言えば言葉の意味が混乱している。
バッハ以前は「ソナタ」は器楽曲、くらいの意味である。
ハイドン以降は「ソナタ」は、ソナタ形式の楽章を含む曲、という意味である。
ソナタ形式は、バッハ以前はあまりかかれなかった。
ソナタ形式は、ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェンが発展させたと理解いただければOKである。
で、以下ソナタ形式の説明というか、
音楽の形式の説明である。
音楽の原初形態は、
(A)
である。
メロディー流れてはい終わり。
しかし人間はいくら才能があってもメロディー無限に創造できるわけではないから、
もっとリソースを大事に使いたいと考える。
そして次なる形式が考えられた。
(A+A)
そう、2回繰り返すのである。
単位時間あたりの手間が半分になる。
これでずいぶん楽になった。
空いた時間で、もう少し凝った構造にする。
(A+B+A)
Aのリピートの間に、違う要素を挿入する。
こうすると、同じAという素材を使った曲でも、
Bの中身を入れ替えれば、まったく違う局に出来る。
この手でさらにリピートする。
(A+B+A+B+A)
手間もかからず飽きない曲の出来上がりである。
さらにCという要素を入れて、さらに長い曲を作る。
(A+B+A+C+A+B+A)
ABCという3つのメロディーで、7単位時間埋めれた。
手間をかけずに、かつ飽きない曲が作曲できた。
こうやって、上手に労力を節約して曲を作ってきた。
さらに別のやりかたもある。
(A+A1+A2+A3)
変奏曲である。
一つのメロディーを微妙に変えて、何度も繰り返す。
これはメロディーを着想する手間は省けるが、
微妙に変える変え方が難しいから、頭が酷使される。
ただし曲としての統一感は最高である。なんせ基本同じメロディ-だから。
http://youtu.be/XQdqVeadhAY
リンクは「きらきら星変奏曲」。
メロディーを少しずつ変えて繰り返している。
「きらきら星変奏曲」はまあ名曲の部類だが、
変奏曲形式は時々、ものすごい名曲を生み出す。
頭にかかる負荷が半端ない分、
パワーのある作曲家は逆によい作品をつくれるのである。
たとえばバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌ」
「オルガンのためのパッサカリア」
「ゴールドベルク変奏曲」
ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」
しかし、いつもいつもパワー前回というわけには、
人間いかないのである。
ちなみにバッハさんは2回の結婚で合計20人も子供をつくったくらいの、
それくらいの体力の持ち主でありましたことよ。
そんなわけで、作曲の歴史は作業効率化の歴史である。
なにか良いメロディーを思いついたとして、
そのメロディー(仮にAとする)を中心に、なるべく長い曲を書きたいのだが、
新しい要素を最小限に、
かつ頭を酷使せず、
かつ統一感を保つ形式はないものか。
そこでひねり出されたのがソナタ形式である。
(A+B + A1+B1 + A+B)
基本2つのメロディー(A+B)の繰り返しである。
AとBは基本的に、対照的なメロディーを使う。
Aが激しければ、Bはやさしいとか。
これで十分飽きがこないものになる。
そして途中に変奏を入れる。
頭を少々使うのである。
しかし変奏曲ほどは大変でなく、
かつ統一感も十分にある。
これがソナタ形式である。
変奏曲ほど手間がかからず、
かつなにやら知的でまとまった印象がある。
使いやすいので、作曲の必殺技として、
ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームスくらいまで、最優先の形式として使われてきた。
一般の方が耳にする交響曲はたいていソナタ形式の楽章を(多くは第一楽章として)含んでいる。
(特急の説明なので、聞いたら音楽学者は激怒するような説明だが、
一般的にはこれで十分な理解である)
ソナタ形式の説明で1回分終わった。
次回はいよいよ「トニオ・クレーゲル」解説。
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