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2013年12月12日木曜日

物語作家

1600年の日本の人口は、
1200万~2200万くらいと推定されている。
キリシタン人口は75万あったのではないかと、推定されている。
(いずれも論拠不確か)
少なく見積もって3%くらいはキリシタンだった。
今日日本の人口1億2000万
クリスチャン人口、多く見積もって1%の120万である。

江戸時代より前のキリスト教布教は成功し、
明治以降のキリスト教不況は失敗した。
その間になにがあったか。

識字化である。
江戸時代、侍以下多くの人々が、
読み書きそろばんをマスターした。
寺子屋が全国に広がった。
それでなにがおこったか。
物語の充実である。
文字の読み書きをすれば、
抽象思考能力が高まり、
物語咀嚼能力が高まる。
高まった能力は、対象を求める。
識字化により物語需要が増大した。

そして需要あれば供給があるものである。
江戸以前の物語、
記紀、源氏、平家、太平記も人々に広がったし、
新たに多くの物語が製作された。
代表的なものは、たとえば忠臣蔵、近松の心中物、八犬伝。
最後のものは中国の水滸伝がもとだが、
前二者はオリジナルである。
ここで前二者がいずれも主人公が死ぬ話であるということを覚えておいていただきたい。

かくて日本では、物語に充足した。
あらたに物語群を加える必要性がなくなった。
明治維新後、バイブルという物語の流布が再開されても、
すでに市場に余地はほとんど無かったのである。
東アジアでもっともクリスチャンの比率の多いのは、
1にフィリピン、2に韓国
いずれも自前の物語群の脆弱な国である。
これをもってしても日本の江戸期の物語の充実が、
(ひらかなの読みやすさからの流布力とあいまって)
相当な水準だったことが見て取れる。
そして明治以降も物語の生産は続いた。
円朝、漱石、鴎外、龍之介以下、連綿と続く。
物語を生産するのは作家に限らない。
溝口、小津、黒澤も膨大な数の物語を生産してきた。
宮崎駿はその最たるものであり、
影響力という観点ではおそらく、
一人で明治以降のすべての作家、映画作家の合算に匹敵するだろう。


では日本史上過去最大の物語作家は誰か。
私見では、大西瀧次郎である。
神風特攻隊の創始者である。
大西は文筆家でも映像作家でもなかったが、
軍事技術と、
膨大な予算と、
多くの若者の命と、
自分自身の命さえつぎ込んで、物語を作った。
「この戦争は勝てぬかもしれぬ。
ここで青年が起たなければ、日本は滅びますよ。
しかし、青年たちが国難に殉じていかに戦ったかという歴史を記憶する限り、日本と日本人は滅びないのですよ」
大西は知っていた。
国家、国民というものは、観念的、抽象的な存在であり、
物語によって作られ、維持されるものであり、
最高のシーン、最高の設備、最高の出演者をそろえれば、
最高の物語が描け、それが未来永劫受け継がれてゆくことを。

この物語、なにしろかけたコストが桁違いである。
これ以上の大作のクランクインは、今後数百年は不可能であろう。
その上江戸期の物語、
忠臣蔵(切腹するために戦闘する)、
心中物(死に向かう道が美しく描かれる)の価値観を十分踏まえ、
楠、真田のような歴史上の事件も背景として持つ。
戦況不利という必要に迫られたとはいえ、
なんとも上手に物語を作ったものである。
伝統的にみても、市場のニーズ的にみても、
最強の物語が出来上がってしまった。
この特攻隊の物語を、以降便宜上「大西物語」と呼ぶ。
戦後、この大西物語にいくつもの疑問が呈されてきた。
最低の作戦だ、犬死だ、無駄な死だ。
おしゃれで、スマートで、理論的には正しい意見である。
しかし当然ながらそれらの言説は、
大西物語ほどの予算をつぎ込めなかった。
今日で言えば、ハリウッド超大作と、自家撮り料理動画のYoutubeにアップくらいの、
絶望的なコストの差がある。
いくら頭をひねっても、
それだけ予算に差があれば、視聴者への説得力という点では勝負にならない。
だからいずれもそれを覆すほどの力は無く、
時が経つにつれ大西物語の力はますます大きくなってとどまるところを知らない。


あしたのジョー、ヤマト、ガンダム、スラムダンク、永遠のZero、
なぜそれらの物語が「泣ける」のか。
大西物語だからである。
大西を除けば明治以降最大の作家と言える宮崎駿も、
大西物語の手のひらの上にいる。
「ここが玉座ですって?
ここは墓場よ、あなたと私の。
あなたは外に出ることも出来ずに私といっしょにここで死ぬの」

大人しそうな少女の骨の髄まで、
特攻精神は浸透しているのである。
実際に特攻隊をアニメに登場させて、
それが引退作品なのである。
おそらく私たち日本人は、
この物語から抜け出せまい。
これ以上にコストがかかる作品が、製作不能だからである。


「青年たちが国難に殉じていかに戦ったかという歴史を記憶する限り、日本と日本人は滅びないのですよ」
まったくそのとおり。
滅びないといっても良いし、滅ぼせないといっても良い。
滅ぼすためには大西物語より説得力のある物語の製作が必要である。
当然大西物語以上の製作コストをかけなければならない。
そのコストの最低ラインは、
主演級俳優の死亡1万人以上、
一般出演者死亡300万人、
原爆2発を含む全国焦土化、
物語製作者は完成時に切腹。

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