さてベルリオーズの幻想交響曲だが、
今日では「風立ちぬ」のような純文学にはふさわしくないような、
おおがかりで、少々B級な音楽と思われているが、
昭和初期だとそこらへんの感覚なくても仕方がない。
むしろ積極的に音楽を勉強している堀辰雄がほめられてしかるべきだろう。
「幻想交響曲」は5楽章に分かれる。
内容は、当時ベルリオーズが恋していた女優のスミスソンと、
出会い、再開し、野原で彼女への思いと猜疑にかられ、
結局刺殺してしまい断頭台へ送られ、
最終的に魔女の宴会で魔女の仲間になった彼女を発見する、
というひどい話である。
以下Wikiより
第1楽章「夢、情熱」 (Reveries, Passions)
彼はまず、あの魂の病、あの情熱の熱病、
あの憂鬱、あの喜びをわけもなく感じ、
そして、彼が愛する彼女を見る。
そして彼女が突然彼に呼び起こす火山のような愛情、
胸を締めつけるような熱狂、発作的な嫉妬、優しい愛の回帰、厳かな慰み。
第2楽章「舞踏会」 (Un bal)
とある舞踏会の華やかなざわめきの中で、彼は再び愛する人に巡り会う。
第3楽章「野の風景」 (Scene aux champs)
ある夏の夕べ、田園地帯で、
彼は2人の羊飼いが「ランツ・デ・ヴァッシュ」(Ranz des vaches)を吹き交わしているのを聞く。
牧歌の二重奏、その場の情景、風にやさしくそよぐ木々の軽やかなざわめき、
少し前から彼に希望を抱かせてくれているいくつかの理由[主題]がすべて合わさり、
彼の心に不慣れな平安をもたらし、彼の考えに明るくのどかな色合いを加える。
しかし、彼女が再び現われ、彼の心は締めつけられ、辛い予感が彼を突き動かす。
もしも、彼女に捨てられたら…… 1人の羊飼いがまた素朴な旋律を吹く。
もう1人は、もはや答えない。
日が沈む…… 遠くの雷鳴…… 孤独…… 静寂……
第4楽章「断頭台への行進」 (Marche au supplice)
彼は夢の中で愛していた彼女を殺し、死刑を宣告され、断頭台へ引かれていく。
行列は行進曲にあわせて前進し、その行進曲は時に暗く荒々しく、時に華やかに厳かになる。
その中で鈍く重い足音に切れ目なく続くより騒々しい轟音。
ついに、固定観念が再び一瞬現われるが、
それはあたかも最後の愛の思いのように死の一撃によって遮られる。
第5楽章「魔女の夜宴の夢」 (Songe d'une nuit du Sabbat)
彼はサバト(魔女の饗宴)に自分を見出す。
彼の周りには亡霊、魔法使い、あらゆる種類の化け物からなるぞっとするような一団が、彼の葬儀のために集まっている。
奇怪な音、うめき声、ケタケタ笑う声、遠くの叫び声に他の叫びが応えるようだ。愛する旋律が再び現われる。
しかしそれはかつての気品とつつしみを失っている。
もはや醜悪で、野卑で、グロテスクな舞踏の旋律に過ぎない。
彼女がサバトにやってきたのだ…… 彼女の到着にあがる歓喜のわめき声……
彼女が悪魔の大饗宴に加わる……
弔鐘、滑稽な怒りの日のパロディ。
サバトのロンド。
サバトのロンドと怒りの日がいっしょくたに。
以上ふまえた上で、幻想交響曲と風立ちぬを比較する
第1楽章「夢、情熱」(序曲)
特に共通点はない。
物語が始まるというだけである。
第2楽章「舞踏会」(春)
曲は快速な3拍子(ワルツ)である。
小説では主人公と婚約者はサナトリウムに移動する。
トニオ・クレーゲルでは第一主題が移動(行進)、
第二主題が踊りだったが、
ここでは同一ものとして扱われる。
堀はかなりトニオを参照している。
ちなみに、
トニオの邦訳が1927年
風立ちぬが1938年である。
いずれにせよ登場人物が活動的である、という意味では共通している。
第3楽章「野の風景」(風立ちぬ)
曲はゆっくりとした曲調。
小説もゆっくりしており、基本婚約者は寝たきりである。
第4楽章「断頭台への行進」 (冬)
行進なので、テンポはやめで、推進力をもって進む曲調である。
小説は、第三章で寝たきりの婚約者のそばに張り付いていた主人公が、
仕事(小説の構想を練る)ためにそこここらを散歩する。
ここも共通している
第5楽章「魔女の夜宴の夢」 (死のかげの谷)
曲はかなりグロテスク。
小説は大人しく、かなり共通していない。
ただ一つ注目すべき点は、
小説内で主人公が、リルケの「レクイエム」を読み始めることである。
曲のなかではグレゴリオ聖歌の「レクイエム」より、「怒りの日」のメロディーが流れる。
この点はあきらかに共通している。
というわけで、
対応関係はあまり明快ではないが
1、章の数が共通している
2、2,3,4章の性格が共通している
3、5章のレクイエムの部分が共通している。
ベルリオーズの「幻想交響曲」と、
堀辰雄の「風立ちぬ」は、
ほぼ有意な関係があると見てよいだろう。
もしも「美しい村」が明快な教会ソナタになっていなければ、
そこまで確信はもてないのだけれども。
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