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2014年1月27日月曜日

パウロ神学と日本アニメ

おそらくイエスという人物が実際にやりたかったのは、
ユダヤ教改革と、ユダヤの王政復古であろう。
しかし死後弟子たちが、
「イエスの生涯には別の意味がある」と主張しだした。
今日のキリスト教はその主張を基に組み立てられている。

いわく、
「アダムとイブはエデンの園で蛇にそそのかされて知恵の実を食べた。
彼らは知恵をつけるとともに、性に目覚めた。
これが人間の「原罪」である。
イエスが地上に降臨したのは、
人間をこの「原罪」から救うためである」

この教義から以下の考えが導き出される

1、性をしらぬ子供は汚れなき存在である
2、性に目覚めた大人は原罪を背負った罪深い存在である
3、子供と大人は性の点で完全に二分される

ここでもしも
大人と子供には完全な区別がなく、
大人も子供のような格好をしてよい、となったらどうなるか。
キリスト教神学が成立しなくなってしまう。

日本アニメがやっているのは、まさにこのことである。

キリスト教は「原罪」つまり性の目覚めを前提として教義を組み立てているから、
大人と子供を峻別しなければならない宿命にある。
したがって、大人向けの「かわいい」コンテンツを製造することができない。
西洋文化の弱点とも言いうるし、
日本にとって大きな市場とも言えるだろう。
ジャパンはクールであるべきではなく、
かわいくあるべきなのである。


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