ページ

2016年4月8日金曜日

「豊饒の海」追記2

第一巻「春の雪」には動物の死骸が2回出てくる。滝にかかる黒い犬の死骸と、もぐらの死体である。黒い犬は、門跡に供養される。この作品で門跡に供養されるのは、ほかには本多しかいない。となると黒い犬は、本多の死体が時間がループして本多の目の前にあると考えて良いだろう。もぐらは安永である。安永は盲目なのでまず間違いない。可哀想に松枝に池に捨てられる。


今日の読解は、いわゆる芸術的であり、思想的であり、いやどういう言い方をすればわからないが、やたらと凝った言葉遣いでされることが多い。ところが、三島自身はそういう現代思想が流行した時代よりも前の人物である。つまり、そのような言葉遣いで三島の作品を分析しても、かえって分析出来ないということになる。簡略な、簡潔な言葉で分析していったほうが、結果が良い。
難解な言葉を使うということは、考えるスピードが遅くなるということである。時間がふんだんにあるなら別だが、普通の人間は簡潔な言葉で読解をすすめることをお勧めする。簡潔な言葉でも数年かかるのが大作の読解である。難解なことばだと何十年かかるやら。


犬の死骸とモグラの死骸の正体も、作者がなにを達成したかったのか、という疑問から逆算すれば、わりに単純な話である。Naverにも書いたが、「天人五衰」に登場する謎の人物2人についても同様である。


柏倉浩造氏は、三島本人であると理解されているようであるが、単純に考えるならば、作中ナイフを使えるような登場人物は、飯沼勲のみなのである。ベレー帽の老人は本多の二十程度年下で、身軽である。飯沼の分身、としか考えられない。野菜の老人も、松枝の分身という考え方で十分であろう。当然「なぜジンジャンの分身は出現しないのか」という疑問が出てくるが、ジンジャンの分身はジンジャンの姉である。というか姉に三つの黒子があったのだから、本物といいいうるのは寧ろ姉であって、ジンジャンが偽物、分身であっった。ここの本多の錯誤が、全編の転換点になる。そして本多の分身も時間をループさせて第一巻「春の雪」に登場し、安永の分身もループさせて登場する。主な人物は一応全部処理されているのである。



0 件のコメント:

コメントを投稿