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2016年4月14日木曜日

「豊饒の海」追記6

聡子の綾倉家、そして留学生会館(今日の国際文化会館と思われる)は、麻布の鳥居坂にある。一応現地に行ってみた。かなり急な坂だった。
鳥居坂というのは、


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85%E5%85%83%E5%BF%A0


鳥居彦衛門の名前をとって鳥居坂というらしい。三河者の忠義の代表的な人物である。つまりこの物語は、忠義を基礎に成り立っている。


三島は天皇主義者だとよく言われる。しかし、たとえば最後の演説を見ても、武士ということに非常にこだわっている。本当に天皇主義者だったのだろうか?彼の先祖は幕末の能吏、永井玄蕃である。


物語という点から見れば、彼の問題意識はだいたい想像がつく。平家、北条、楠、信長、大阪城まで、武家が滅ぶときは、一族が皆殺しになっている。ところが、徳川家はそうではなかった。小さすごる戦闘で政権が移譲されたものだから、日本伝統の「滅びの歌」が成立していない。ここで伝統が切れかかったのである。そのかわりに、西郷が鹿児島で「滅びの歌」をやってくれた。だから伝統はギリギリ保った。やはり西郷は大物であった。
太平洋戦で「滅びの歌」を担当したのが、特攻隊や戦艦大和である。が、しかしこれも、天皇家に特に被害は出ていないし、本土決戦もしていない。私は天皇が退位すべきだったとも、本土決戦すべきだったとも全く思わないが、物語、という点から見れば、明治維新と太平洋戦争は、伝統的な物語世界の中で、少々尻の座りが悪いのである。
三島が問題にしていたのはおそらく、この点である。太平洋戦争の敗戦も、物語論的な観点ではと表面的な事象であって大問題ではない。日本を成立させてきた武士的なもの、公家や坊主や神官と対になるような存在の、明治維新以降のゆるやかな損失、それによる伝統的物語の不整合を問題としていたはずである。


作中歌舞伎は3作上演される。内容については説明されないが、
ひらかな盛衰記、加々見山旧錦絵(かがみやまこきょうの錦絵)は武家の物語、最後の堀川猿廻しは純然たる町人世界の話である。
ちなみに「ひらかな」は源平合戦が題材、当然忠義の話である。加賀見山は加賀騒動(江戸時代にあった加賀前田家のお家騒動)を題材にし、忠臣蔵を加えて居るが、加賀騒動は元来加賀藩の財政再建が発端、つまり忠義と財政の話である。そして堀川猿廻しは事件の発端が贋金なのである。劇中の上演演目だけで、三島が政治と経済をバランス良く目配りできるのがわかる。最終的に金と市民(町人)の物語に堕する全編を、上演演目だけで表現できているのである。



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