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2016年4月8日金曜日

「豊饒の海」追記

http://matome.naver.jp/odai/2146003917202443101?&page=1


長い時間がかかった。最初に読んでから2年以上かかっている。なんとかまとめられた。細かい部分はまだ残るが、とりあえずここで区切りとする。


私自身は、さしたる文学好きではない。文学を専攻していた人間に比べれば、読んだ文学作品は三十分の一くらいだろう。実はそもそも三島が好きではない。読んでない作品のほうが多い。あの文体が気に入らない。読みにくく、読むスピードが上がらない。無駄な装飾に満ちている気がする。最上級の偽物の気がする。それでも、豊饒の海に取り組んではっきり言えるのが、ともかくこのひとは全力を出せる人である、ということである。悲しいほどに、哀れなほどに全力を尽くして、この作品を書いた。敬服に値する。


文学の研究をされている諸氏に申し上げたい。全力で書かれた作品は存在する。才能のある作家が、全力で書いているのである。そのような作品には、礼儀を持って対しなければならない。別の言い方をすれば、読み込まなければならない。


「読み込む」という世界が存在するのである。多くの文学研究者が知らない世界である。なぜ知らないと断言できるか。一覧表を見る機会がすくないからである。
大作ならば、最低でも登場人物表と章立て表、いずれもできるだけ詳細なものを作成しなければ、作品の読み込みは不可能である。フォンノイマンくらいの頭脳の持ち主ならばいざしらず、通常の脳みそでは、才能ある作家の構想は、章立て表や登場人物表を作って初めて浮かび上がるものである。100回読む、10年読む、それだけの理解が、一覧表を作成しさえすれば、数年で、十数回の通読で達成できる。その一覧表をあまり見かけないということは、多くの大学で文学を講じているにもかかわらず、文学作品そのものの研究はあまりされていないはずである。


それでも直感の鋭い人はいるもので、驚くべきことに、豊饒の海がニーベリングの指環を下敷きにしていることを、作家の村上春樹と、漫画家の岡本倫は認識している。それは作品から明らかである。そして文学研究者は認識が不十分である。小耳に挟んだことはあるのかもしれないが、十分掘り下げずに放置されてきた。不名誉なことだろうと思う。




http://www.michitani.com/books/ISBN4-89642-021-7.html
柏倉浩造


この読み解きは名著である。私とは考えが違うが、ジンジャンの入れ替え物語の読み解きは大変参考になった。感謝申し上げる。




http://homepage3.nifty.com/fm-classic-live/027K.html


以下黛さんの発言****「豊饒の海」と「ニーベルングの指輪」の相似性というのは私の友人でこれも死にましたけど矢代秋雄君という作曲家が、いち早くそれを指摘して三島さんの生前のことですけど、非常に三島さんの思想には、ワーグナーに通じるものがあると論文を書いたことがある***
というふうに、作曲家も早くから指摘していた。




実は問題の根源は、ワーグナーにある。「ニーベルングの指環」の台本が、デキが悪いのである。おそらく多くの三島研究者が台本に取り組み、できの悪さに呆れ果てて放棄したはずである。わたしもそうしそうになった。しかし現在では
http://www31.atwiki.jp/oper/pages/1843.html
全編を日本語翻訳して無料で公表してくれる人が居るのである。この方の翻訳がなければ、豊饒の読み解きは不可能だった。




三島は「憂国」の映画でトリスタンとイゾルデを使うほどワーグナー好きである。当時の作家の一つの目標が、ドイツの作家トーマス・マンで、マン自身ワーグナー好きで影響を受けているから、マン好きの三島(たとえば禁色などはほぼヴェニスに死すである)がワーグナー好きになるのは当たり前である。しかしワーグナーの台本読んでつくづく感じるのは、「ああ、この人はソナタ形式書けないはずだ」というものである。構成感覚自体が、あまり良くない。ピリっと締まった密度の高さが、達成できない人なのである。その構成の甘さは、「豊饒の海」にも引き継がれる。



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